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2008年AAA世界選手権韓国代表として金メダルを獲得。
 
プロ1年目の[[2009年]]は、チームがBクラスに確定した後の[[消化試合]]である、5試合に止まり特に活躍はできなかった。
プロ1年目の[[2009年]]は、チームがBクラスに確定した後の[[消化試合]]である、5試合に止まり特に活躍はできなかった。翌[[2010年]]は、[[3月27日]]の[[三星ライオンズ|三星]]戦で[[尹盛桓]]からプロ初[[本塁打]]を放つと、[[朴鍾勳]](パク・ジョンフン)監督はその素質を見込み、そのまま起用を続ける。自身の好プレーや失策によってチームの勝敗が左右されることが多くなり、監督は彼を一層重用することに。[[オールスター戦]]に監督推薦で初出場。シーズン通じて[[打率]].245、[[打数]]の約4割が[[三振]]と雑な打撃が際立った。2011年は負傷もあり試合出場数が激減し、成績も前年より大きく下回った。そのため、2012年の年俸は前年の半額以下となってしまったが、公式戦133試合にすべて出場し復活を遂げた。
 
プロ1年目の[[2009年]]は、チームがBクラスに確定した後の[[消化試合]]である、5試合に止まり特に活躍はできなかった。翌[[2010年]]は、[[3月27日]]の[[三星ライオンズ|三星]]戦で[[尹盛桓]]からプロ初[[本塁打]]を放つと、[[朴鍾勳]](パク・ジョンフン)監督はその素質を見込み、そのまま起用を続ける。自身の好プレーや失策によってチームの勝敗が左右されることが多くなり、監督は彼を一層重用することに。[[オールスター戦]]に監督推薦で初出場。シーズン通じて[[打率]].245、[[打数]]の約4割が[[三振]]と雑な打撃が際立った。2011年は負傷もあり試合出場数が激減し、成績も前年より大きく下回った。そため、2012の年俸前年の半額以下となってしまったが、公式戦133試合IBAFインターコンチネンタルカップ韓国代表すべも選ばれ出場し復活を遂げたいる
2010年IBAFインターコンチネンタルカップ韓国代表にも選ばれている。
 
2011年は負傷もあり試合出場数が激減し、成績も前年より大きく下回った。
 
2012年は年俸が前年の半額以下となってしまったが、公式戦133試合にすべて出場し復活を遂げた。
 
== 詳細情報 ==
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|[[2009年|2009]]||rowspan="6" style="text-align:center;"|[[LGツインズ|L<br /><br />GLG]]
||5||9||1||1||0||0||0||1||0||0||1||0||5||0||1||.111||.200||.111||.311
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=== 背番号 ===
* '''9''' (2009年)
* '''7''' (2010- 2011年)
* '''52''' (2012年)
* '''2''' (2013年 -
 
== 外部リンク ==
* [http://www.koreabaseball.com/Record/HitterDetail1Player/HitterDetail/Basic.aspx?pcodeplayerId=79109 通算成績(韓国語)]
 
{{LGツインズ}}