「ボーア戦争」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m 引用としての体をなしていない単なるテレビ番組の視聴メモ
134行目:
== その後 ==
英国はボーア戦争に大量の人員・物資を割かざるを得ない状況になったことが影響し、[[義和団の乱]]以降、[[満州]]に影響力を強める[[ロシア帝国]]に対抗する為、1902年1月に孤立政策([[栄光ある孤立]])を捨てて[[日英同盟]]を締結し、1904年に始まった[[日露戦争]]で日本勝利の遠因の一つとなった。また、当時、最新鋭だった[[シネマトグラフ]]により、世界で初めてこの戦争を動画で記録した。
 
当時、新聞特派員として従軍していた[[ウィンストン・チャーチル]]は「どんな戦争といえども、容易なものはない一度戦争に身を委ねた政治家は、制御し難い戦いの奴隷になる。」とコメントしている。(NHKスペシャル「映像の世紀 第1集 『20世紀の幕開け』~ カメラは歴史の断片をとらえ始めた~より) 
 
== 参考文献 ==
148 ⟶ 146行目:
* [[マフェキング]]の包囲戦
* [[アーサー・コナン・ドイル]]
* [[ウィンストン・チャーチル]] - 特派員として従軍
* [[アパルトヘイト]]
* [[愚者の渡しの防御]]