「和田京平」の版間の差分

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イベントの著名性と試合の重要性は無関係。異論がある場合は井戸端
還暦記念大会記載
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2013年6月30日、全日本プロレス[[両国国技館]]大会にて久々の参戦。7月5日、全日本プロレス新体制の記者会見にて、名誉レフェリーとして復帰。
 
2014年12月14日、後楽園ホールで全日本プロレス「和田京平レフェリー40周年&還暦記念大会〜和田京平プロデュース〜」を開催し、メインイベントでは「キョーヘー」コールと同時に大量の紙テープが投げられた<ref name=wpro1771>「試合リポート 全日本12・14後楽園」、『[[週刊プロレス]]』No.1771、[[ベースボール・マガジン社]]、平成26年12月31日号(12月17日発行)、26-28頁、2014年。</ref>。メインイベント後、赤いちゃんちゃんこ、記念品、花束、リングシューズが送られ、選手による胴上げが行われた<ref name=wpro1771 />。
 
[[2015年]]2月22日、「ケンカマッチ」となった[[スターダム]]の東京・後楽園ホール大会ファイナル[[世IV虎]]×[[安川結花|安川惡斗]]戦を裁いたが、7分45秒に和田が試合を止めた時には、既に安川は、頬骨、鼻骨、左眼窩底骨折、さらに網膜振盪症で「全治未定」の重症であった<ref name="daily20150225">{{cite news|title = 顔面骨折の安川悪斗 世IV虎との再戦希|url = http://www.daily.co.jp/newsflash/ring/2015/02/25/0007770637.shtml|publisher = [[デイリースポーツ]]|date = 2015年2月25日| accessdate = 2015年2月26日}}</ref><ref name="cyzor20150225">{{cite news|title = 顔はボコボコ、お岩さん状態に……女子プロのリングで起きた禁断の“セメント事件”の後始末|url =http://www.cyzo.com/2015/02/post_20778.html|publisher = [[サイゾー]]|date = 2015年2月25日| accessdate = 2015年2月26日}}</ref><ref>{{Cite news |title=女子プロレスが凄惨けんかマッチで紛糾 |newspaper=デイリースポーツ|date=2015-02-22 |author=デイリースポーツ |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/ring/2015/02/22/0007761352.shtml?pg=3 |accessdate=2015-02-26}}</ref>。3月11日に和田は[[デイリースポーツ]]のインタビューに答え、40年以上のレフェリー生活で“けんかマッチ”寸前となった試合は「何度もある」としたが、実際にリミットを超えた異常事態が発生したのはこの試合が初めてであったと述べている<ref name="dailky20150311">{{cite news|title = 和田レフェリー 世IV虎に苦言|url = http://www.daily.co.jp/newsflash/ring/2015/03/11/0007810517.shtml|publisher = [[デイリースポーツ]]|date = 2015年3月11日| accessdate = 2015年3月12日}}</ref>。