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[[塩槌山]]を切り崩した土で海を埋め立てた。工事の際、それが難航したために[[迷信]]を信じる[[貴族]]たちが海神の怒りを鎮めるために[[人身御供]]をすることになる。[[平清盛]]は何とか人柱を捧げずに埋め立てようと考えて、石の一つ一つに[[一切経]]を書いて埋め立てに使う([[経石]])。その後、事故などもなく無事に工事が終わったために[[お経]]を広げたような[[扇]]の形をしたこの島を「経が島」と呼ぶようになった。しかし、一説には、人身御供をする事となり清盛の侍童・松王丸が入水して工事が終わったともいわれる。
 
3世紀の中国にも同様の逸話があり、諸葛亮(孔明)が川の氾濫を鎮めるため生贄として生きた人間の首を切り落とし川に沈めるという風習を止めさせようと、小麦粉で練った皮に肉を詰めて人間の頭の形にしたものを川に投げ込んだら川の氾濫が納まったという逸話が存在する、これがマントゥと呼ばれ饅頭の起源とされている逸話である。
ただし、実際の工事は清盛生存中には完成せず、清盛晩年の[[治承]]4年([[1180年]])は近隣諸国や[[山陽道]]・[[南海道]]に対して人夫を徴用する[[太政官符]]が出され、最終的な完成は[[平家政権]]滅亡後に工事の再開を許された[[東大寺]]の[[重源]]によって[[建久]]7年([[1196年]])になされたとされている。