「バングラデシュ独立戦争」の版間の差分

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殺戮から逃れようとした東パキスタン住民[[難民]]が大量に隣国[[インド]]に[[亡命]]したことから、かねてよりパキスタンと対立していたインド政府が[[1971年]][[12月3日]]に介入([[第三次印パ戦争]])した。国力ではインドに対して不利な[[パキスタン軍]]が劣勢となり、[[1971年]][[12月16日]]に撤退。東パキスタンは「[[バングラデシュ]]」として独立を果たした。
 
この独立戦争には前史がある。1952年、パキスタンの植民地支配に対し、バングラデシュは自国言語バングラ([[ベンガル語]])を守るため立ち上がった。1962年から1969年にかけてベンガル人からの激しい反発があり、パキスタンの軍事独裁者の失墜に至った。1970年、パキスタンの議会選挙があり、パキスタン・[[アワミ連盟]]が過半数を獲得した。しかし憲法に反しパキスタンの指導者たちは党に権力を譲ることを拒んだ。1971年3月7日、ベンガル人のリーダー[[ムジブル・ラフマン]]がパキスタン政府への非協力政策を10万人の立ち会うもとで宣言した。
 
[[2013年]]、戦争時の虐殺等の罪で[[イスラム協会 (バングラデシュ)|イスラム協会]]の幹部、{{仮リンク|アブドゥル・カデル・モッラ|bn|আব্দুল কাদের মোল্লা}}(Abdul Quader Molla)の[[死刑]]が確定。大統領は[[恩赦]]を出したがモッラは拒否し、同年12月12日、死刑が執行された。