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'''小池 光'''(こいけ ひかる、[[1947年]](昭和22年)[[6月28日]] - )は、[[日本]]の[[歌人]]。[[学位]]は[[理学修士]]([[東北大学]])。本名は'''小池 比加兒'''。[[仙台文学館]]館長(第2代)。
 
== 来歴 ==
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[[1947年]]、[[宮城県]][[柴田郡]][[「船岡町 (宮城県)|船岡町]](現在の[[柴田町]])に、[[大池唯雄]](小池忠雄)の[[長男]]として生まれる。[[父]]の大池は、「兜首」および「秋田口の兄弟」にて第8回[[直木三十五賞]]を受賞するなど、[[小説家]]として活動していた。
 
[[宮城県仙台第一高等学校]]を経て、[[東北大学]][[理学部]][[物理学科]]を卒業した。その後、同大学の[[大学院]]に進学し、[[理学研究科]]にて[[修士課程]]を修了した
 
[[1972年]]、短歌結社「[[短歌人]]」に入会した。その後、[[高瀬一誌]]の薫陶を受ける。[[1975年]]、[[埼玉県]]の私立高等学校へ理科教師として就職、翌年、テレビのクイズ番組に勝ち、招待によるヨーロッパ一周旅行を経験した。
 
=== 歌人として ===
[[1978年]]、第1歌集『バルサの翼』を、翌1979年には同歌集により第23回[[現代歌人協会賞]]を受賞した。[[1980年]]、「短歌人」の編集人となった。[[1995年]]には、第4歌集『草の庭』により第1回[[寺山修司短歌賞]]を受賞した。[[2001年]]、第5歌集『静物』で[[芸術選奨新人賞]](文学部門)を受賞した。[[2004年]]、「滴滴集6」30首(「短歌研究」2003年1月号)および「荷風私鈔」34首(「歌壇」 2003年9月号)をもって、第40回[[短歌研究賞]]を受賞した。同年、評論集『茂吉を読む - 五十代五歌集』で、第2回[[前川佐美雄賞]]を受賞した。[[2005年]]、第6歌集『滴滴集』で、第16回[[斎藤茂吉短歌文学賞]]を受賞した。同年、第7歌集『時のめぐりに』で第39回[[迢空賞]]を受賞した
 
[[2006年]]、31年間勤めた教職を退いた。[[2007年]]より、第2代[[仙台文学館]]館長を務めている。[[2011年]]、第8歌集『山鳩集』で、第3回[[小野市詩歌文学賞]]を受賞。[[2012年]]、『うたの動物記』で第60回[[日本エッセイスト・クラブ賞]]を受賞した。[[2013年]]春の叙勲で[[紫綬褒章]]受章。
 
教職を退いてからは、作歌、結社誌編集のほか評論、執筆活動、講演会講師、パネラー、短歌大会選者、新聞選歌など多角的な活動をしている。また、[[読売新聞]]、[[北国新聞]]、[[山陽新聞]]、[[信濃毎日新聞]]歌壇各選者を務めている。
 
== ==
写実的歌風であるが、現実とは遊離した趣の歌風である。歌の対象は日常的な事象が多く、鋭い観察眼を持っているが、その事象より想起される内的世界が広がりを見せ、人間の存在の意識に関わる歌となっている。小池の歌は、機智に富んだ現代版ただごと歌のようでありながら、その手法は、歌の対象の発見から想起、認識、転換へと魔術師のように歌を紡ぎ出していく。また、文語と歴史的仮名遣いを用いてより現代的な事象を表現するパイオニアとしての役割も果たしている。
 
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=== 歌書等 ===
*『街角の事物たち』(1991(1991、五柳書院)
*『短歌  物体のある風景』(1993(1993、本阿弥書店)
*『現代歌まくら』(1997(1997、五柳書院)
*『鑑賞・現代短歌 10 [[岡井隆]]』(1997年、本阿弥書店)
*『斎藤茂吉―その迷宮に学ぶ』(1998年、砂子屋書房) [[岡井隆]]・[[永田和宏]]との共著
*『昭和短歌の再検討』(2001年、砂子屋書房) [[三枝昂之]]・[[島田修三]]・[[永田和宏]]・[[山田富士郎]]との共著
*『茂吉を読む - 五十代五歌集』(2003(2003、五柳書院) 
*『うたの動物記』(2011年、[[日本経済新聞出版社]])
*『うたの人物記―短歌に詠まれた人びと』(2012年、[[角川学芸出版]]〈角川短歌ライブラリー〉)
 
== 参考図書 ==
*『短歌』「特集小池光」(2005年10月号 (特集小池光、[[角川書店]])
 
== 外部リンク ==