「ゴルカ王国」の版間の差分

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|公用語 = [[ネパール語]]
|首都 = [[プリトビナラヤン|ゴルカ]]
|元首等肩書 = [[ラージャ]]<br>[[マハーラージャ]]
|元首等年代始1 = [[20011559年]]
|元首等年代終1 = [[20081570年]]
|元首等氏名1= [[ドラヴィヤ・シャハ]]
|元首等年代始2= [[1743年]]
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|変遷1 =成立
|変遷年月日1 = [[1559年]]
|変遷2 = [[ネパール王国]]となる
|変遷年月日2 = [[1768年]][[12月21日]]
|通貨 =
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== 歴史 ==
[[File:Prithvinarayanshah.jpg|thumb|right|left|[[プリトビ・ナラヤン・シャハ]]]]
[[16世紀]]、[[ヤショー・ブラフマ・シャハ]](Yasho Brahma Shah)が[[カスキ国]](現[[カスキ郡]])を征服した。
 
[[1559年]]、ヤショー・ブラフマの子、[[ドラヴィヤ・シャハ]](Dravya Shah)がゴルカ王国([[ゴルカ朝]])を確立。当時、ネパールは多くの独立した小国に分かれており、ゴルカは[[二四諸国]]にも数えられないほどの小国であった<ref>佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.487</ref>。
 
[[カトマンズ盆地]]では、[[1484年]]に[[ラーヤ・マッラ]]の[[バクタプル・マッラ朝]]から、[[ラトナ・マッラ]]の[[カトマンズ・マッラ朝]]が独立。[[1619年]]に[[シッディナラシンハ・マッラ]]の[[パタン・マッラ朝]]が独立し、[[マッラ朝]]は三王国時代に入る。