「メタコメット」の版間の差分

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Yanajin33 (会話 | 投稿記録)
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この戦争は白人によって「フィリップ王戦争」と呼ばれた。白人社会から見れば、戦争には司令官が必要なものであり、メタコメットはまさにその「司令官」たる「大酋長」に思えたからである。しかしメタコメットは[[合議制]]のなかの世話役に過ぎず、部族が合議で白人との交戦を決めたからこれに従ったのである。合議に逆らう行いを白人がしたから部族会議は交戦を決めたのである。メタコメットが個人的に交戦を決めたわけでも戦争を率いたわけでもない。
 
結局[[1676年]]8月12日メタコメット酋長が戦死し、白人側の勝利で戦争は終結するが、死んだメタコム酋長の遺体は白人達により八つ裂きにされ、切断された首は槍の先に突き刺され、白人達の村に約20年近く見せしめとして飾られた。そして捕虜となったメタコメット酋長の家族は奴隷として[[バミューダ諸島]]に送られた。白人はあくまで彼を「戦争責任者」とみて、これを辱めたのである
 
== 参考文献 ==