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== 経歴 ==
中々メジャーに上がれなかったが{{by|1996年}}[[1996年のMLBドラフト|MLBドラフト]]7巡目で[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]に入団。{{by|2000年}}8月31日、[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]デビュー。
=== メジャー時代 ===
 
{{by|19962005年}}のシーズン途中、[[1996年のMLBドラフト|MLBドラフト]]7巡目で[[カロサゼルシティロイヤルズドジャース]]に入団移籍
 
[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]では、通算75試合登板、4勝5敗、[[防御率]]4.66という成績を残した。オフ、{{by|2004年}}に[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスタ]]に入団。<br />同年はシーズンを通して先発ローテーションを守り、[[セドリック・バワーズ]]、[[吉見祐治]]と並ぶチームトップタイの7勝をあげる活躍を見せたが、シーズン終了後退団した。
中々メジャーに上がれなかったが、{{by|2000年}}8月31日、[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]デビュー。
 
翌{{by|2005年}}、シーズン中に[[読売ジャイアンツ]]に入団。古巣相手に初[[完封]]も記録したが、シーズン全体の成績は下記[[#年度別投手成績|年度別投手成績]]のとおりで、オフに退団した。
[[2001年]]は17試合に登板した。
 
[[2002年]]は中継ぎとして44試合に登板し、メジャー初勝利を含む4勝5敗の成績を残した。
 
{{by|2003年}}のシーズン途中、[[ロサンゼルス・ドジャース]]に移籍した。
 
[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]では、通算75試合登板、4勝5敗、[[防御率]]4.66という成績を残した。オフに[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]に入団した。
=== 横浜時代 ===
 
{{by|2004年}}はシーズンを通して先発ローテーションを守り、[[セドリック・バワーズ]]、[[吉見祐治]]と並ぶチームトップタイの7勝をあげる活躍を見せた。結果的にチームは3年連続最下位でシーズンを終了したがその中で奮闘した。しかし、シーズン終了後に[[戦力外通告]]を受け、退団した。
=== 巨人時代 ===
 
翌{{by|2005年}}、シーズン中に[[読売ジャイアンツ]]に入団。エース[[上原浩治]]の不調など、開幕から低迷するチームの救世主として期待され、一時は[[東京ドーム]]で負けなしの連勝街道を走り、古巣相手に初[[完封]]も記録したが突然崩れる試合も目立った。[[7月28日]]の[[阪神タイガース]]戦では2回に3被[[本塁打]]を含む連打を浴びるなど、一挙9失点(自責点8)を喫し、この回途中でKOされた。最終的に6勝8敗、防御率6.22の成績終わった。これが原因でこの年限りで解雇された。
 
=== アメリカ復帰 ===
 
{{by|2006年}}は、[[アトランタ・ブレーブス]]傘下3Aの[[リッチモンド・ブレーブス]]でプレーした。
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140km/h台中盤の動く[[速球|ストレート]]と、[[スライダー (球種)|スライダー]]・[[チェンジアップ]]を投げる。
 
[[父親]]の仕事([[軍人]])の関係で、少年時代を2年間、[[山口県]][[岩国市]]で過ごしていたことがある。そのせいなのか、好物を聞かれて「[[縁日]]の[[屋台]]で食べる[[焼きそば]]」と答えていた。日本人ファンも多く[[親日家]]だった<ref>[[月刊ベイスターズ]]2004年3月号</ref>。
 
== 詳細情報 ==