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[[File:Navarra - Densidad población 2006.svg|thumb|right|200px|自治体別の人口密度<br />(赤色=高密度 / 緑色=低密度)]]
 
ナバラ州は272の[[ムニシピオ]](基礎自治体)からなる<ref name=informacionmunicipios>{{cite web |url=http://www.navarra.es/home_es/Navarra/272+Municipios/Informacion.htm |title=Información municipios |work=ナバーラ州政府 |date= |accessdate=2015-09-30}}</ref>。人口の約1/3が州都[[パンプローナ]](195,769人)に住んでおり、人口の約半分がパンプローナ都市圏(315,988人)に住んでいる<ref name=subete21>ナバラ州政府(2005)、p.21</ref>。人口20,000人以上の自治体はパンプローナに続く、河岸部[[トゥデラ]]、パンプローナ都市圏の[[バラニャイン]]、[[バリェ・デ・エグエス]]、{{仮リンク|ブルラーダ|es|Burlada}}、{{仮リンク|シスール・マヨール|es|Zizur Mayor}}(13,197人)、[[エステーリャ]]、 [[タファリャ]]、{{仮リンク|アンソアイン|es|Ansoáin}}、{{仮リンク|ビリャーバ/アタラビア|es|Villava}}である。人口上位10の3自治体のうちでありパンプローナを含めて7自治2013年時点では州全の42.3%パンプローナ都市圏3自治体であに居住してい<ref name=upnpopulation/>272のムニシピオのうち、人口499人以下が158自治体、500人-999人が33自治体、12,000人-9から20,999000が72自治体には州全体の39.2%が10人口2,000人以上が10下の自治体である。ナバラ県(ナバラ全体人口の3118.5%が県都(州都)[[パンプローナ]]に居住している。スペイン全土の県都集中率の平均は32%であり、ナバラ県(ナバラ州)の県都集中率は50県中22位である<ref name=upnpopulation/>
 
1900年の人口は307,669人だったが、2014年には約2倍の640,356人となった<ref name=upnpopulation>{{cite web |url=http://www.unavarra.es/conocerlauniversidad/en-campus/the-surrounding-area/navarre?submenu=yes&languageId=1 |title=Navarre Population |work=ナバーラ州立大学 |date= |accessdate=2015-10-02}}</ref>。人口密度は29人/km<sup>2</sup>から61.4人/km<sup>2</sup>に増加したが、これはスペイン平均を下回っている<ref name=upnpopulation/>。
1900年の人口は307,999人だったが<ref name=subete21/>、2012年には644,566人となった。人口密度は62人/km<sup>2</sup>であり、スペイン全体の人口密度92人/km<sup>2</sup>を下回っている。ピレネー渓谷や南西部のエステーリャ地域では20世紀初頭から人口が減少しつづけているが、パンプローナ盆地や河岸地域では人口が増加している<ref name=subete21/>。2000年代にはラテンアメリカ、東欧、北アフリカなどからの移民が増加しており<ref name=subete21/>、他国出身人口は約70,000人<ref name=upnpopulation/>、比率では約11%と推定されている<ref name=subete2150shou96>萩尾生・吉田浩美(2012), p.96</ref>。
 
{|class="wikitable" align="center"
! 順位 !!colspan=4| ナバーラ州の自治体 !! 人口順位(2013年)<ref !! 地域name=upnpopulation/>
|-
! # !! 人口 !! 自治体 !! 地域
|1. || [[パンプローナ]] || 196,955 || パンプローナ都市圏(中部)
|-
| 2.1 || 196,955 || [[トゥデラパンプローナ]] || 35,369 || 河岸部(南
|-
| 3.2 || 35,369 || [[トゥデニャイン]] || 21,120 || パンプローナ都市圏南部河岸部)
|-
| 4.3 || 21,120 || [[バリェ・デ・エグエスラニャイン]] || 18,414 || 中部(パンプローナ都市圏(中部
|-
| 5.4 || [[18,248 || {{仮リンク|ブルラーダ]] |es| 18,248Burlada}} || 中部(パンプローナ都市圏(中部
|-
| 6.5 || [[14,120 || {{仮リンク|シスール・マジョール]] |es|Zizur 14,120Mayor}} || 中部(パンプローナ都市圏(中部
|-
| 7.6 || 13,947 || [[エステーリャ]] || 13,947 || 河岸部(河岸部)
|-
| 8.7 || 11,201 || [[タファリャ]] || 11,201 || 河岸部(河岸部)
|-
| 9. || [[アンソアイン]] || 10,976 || パンプローナ都市圏(中部)
|-
| 10. || [[ビリャーバ/アタラビア]] || 10,308 || パンプローナ都市圏(中部)
|}
 
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地形・生物気候学の観点から、ナバラ州は山岳部、中央部、河岸部の3地域に分けることができる<ref name=subete1119>ナバラ州政府(2005)、pp.11-19</ref>。北の[[ピレネー山脈]]から南の[[エブロ川]]流域の平原まで、ナバラ州の地理は変化に富んでいる。地理学者のアルフレド・フロリスタはナバラの景観を「ミニチュア大陸」と表現した<ref name=subete1119/>。
 
山岳部はナバラ州北部を占め、さらに湿潤地帯、ピレネー渓谷、ピレネー前縁盆地に分けられる。州北西部の湿潤地帯は平均気温が摂氏15度、年間降水量が約1,400mmであり、広葉樹、牧草、シダ類などの植生がみられる<ref name=subete1119/>。州北東部のピレネー渓谷は、激しい降雪と気温の変化が特徴のピレネー山脈山麓から、西に向かうにつれて温暖な気候が特徴の亜海洋性気候に変化している<ref name=subete1119/>。ピレネー渓谷北部ではブナ、モミ、オウシュウアカマツなどがみられる<ref name=subete1119/>。ピレネー前縁盆地の植生はカシ類やカシワ類などの地中海広葉樹が目立つ<ref name=subete1119/>。ナバラ州の最高峰は標高2,428mの{{仮リンク|メサ・デ・ロス・トレス・レジェス|Mesa de los Tres Reyes}}であり、トレス・レジェスの周囲には標高2,507mのアニ峰(山頂はフランス領)や2,366mのペトレチェマなどがある<ref name=vallederoncal>{{cite web |url=http://vallederoncal.es/outdoor-activities/mountain-summits/?lang=en |title=Mountain Summits |work=Valle de Roncal |date= |accessdate=2015-10-02}}</ref>。その他の主要な山には、チャマンチョイア、カルチェラ、ララ=ベラグア山塊、アライス山、ウンツエコ・アリア、レイレ山、ペルドン山、モンテフラ、エスカバ、オリ山、コデス山、ウルバサ、アンディア、[[アララール山地]]などがある。
 
山岳部と河岸部の中間には中央部があり、山地や丘陵などがみられる北部から広大な平野が広がる南部までが緩やかに推移している。中央部の中でも気候は大きく変化し、東側は大陸性気候であり、北側は西岸海洋性気候、南側は大陸地中海性気候である。中央部には[[パンプローナ]]やパンプローナ都市圏がある。河岸部は[[エブロ川]]の本流や支流の流域であり、[[エステーリャ]]と[[トゥデラ]]というふたつの主要都市がある。エステーリャ河岸にはなだらかな尾根や向斜面谷が見られ、ドゥデラ河岸には構造平原や沖積低地が広がっている<ref name=subete1119/>。トゥデラの北方には半砂漠地帯の[[バルデナス・レアレス]]が広がり、ユネスコの生物圏保護区に指定されている<ref name=parquenatural>{{cite web |url=http://www.turismo.navarra.es/esp/organice-viaje/recurso/Patrimonio/3023/Parque-Natural-de-las-Bardenas-Reales.htm |title=Parque Natural de las Bardenas Reales |work=ナバーラ州政府観光局 |date= |accessdate=2015-09-30}}</ref>。河岸部の年降水量は400mm足らずであり、山岳部に比べて日照時間が長いほか、夏季と冬季の気温差が激しい<ref name=subete1119/>。
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[[File:castillo javier.jpg|right|thumb|200px|[[フランシスコ・ザビエル]]が育った[[ハビエル城]]]]
 
1512年にはカスティーリャ王[[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド5世]]がナバラ王国に侵攻して併合し<ref name=hagio7175>萩尾ほか・吉田(2012)、pp.71-75</ref><ref>{{cite book | author1 = Monreal, Gregorio| author2 = Jimeno, Roldan|year = 2012 | title = Conquista e Incorporación de Navarra a Castilla| publisher = Pamiela | location=Pamplona-Iruña| isbn = 978-84-7681-736-0}}, pp. 30-32</ref>、ナバラ王国は[[カスティーリャ王国]]の副王領となったが、立法・行政・司法の各機構はナバラ王国に残された<ref name=watanabe36>渡部哲郎『バスク –もう一つのスペイン-』彩流社、1984年、p.36</ref>。ナバラ人はフランス王朝の終焉をそれほど残念には思わず、カスティーリャ王国内での自治権の保持に力を注いだ<ref name=bard157>バード(1995)、pp.157-160</ref>。ナバラ王位にあった[[カタリナ (ナバラ女王)|カタリナ]]と[[フアン3世 (ナバラ王)|フアン3世]]は[[ピレネー山脈]]北部に逃れ、1555年までに、アルブレ家の女王[[ジャンヌ・ダルブレ]]が率いるナヴァール王国(ナヴァール=ベアルン王国)が確立された。ピレネー山脈の南側では、1610年にアンリ4世がスペイン側のナバラ王国に進軍の準備を行うまで、副王領としての王国は不安定なバランスの上にあった。ナヴァール王エンリケ3世が1589年にフランス王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]として即位すると、歴代のフランス王はナヴァール王を兼ね、フランス側のナヴァール王国は1791年まで存続した。
 
17世紀のナバラでは農業がほぼ唯一の経済であり、穀物やブドウの生産、家畜の飼育などが行われ、小麦・羊毛・ワインなど小規模の輸出貿易をおこなった<ref name=bard201>バード(1995)、pp.201-208</ref>。スペイン海軍の船にはナバラ産の材木が使用され、隣接するギプスコアに鉄鉱石を運んだ<ref name=bard201/>。17世紀におけるナバラとバスク全体の人口は約35万人だった。この世紀には黒死病の再流行によってスペイン全体の人口が850万人から700万人に減少しており、ナバラやバスクは黒死病による死者は少なかったが、社会的流出が多かったために人口は増加しなかった<ref name=bard201/>。1659年にはピレネー条約でスペイン・フランスの国境が確定し、北ナバラと南ナバラの分断によって長年燻っていたナバラ問題は立ち消えた<ref name=bard190>バード(1995)、pp.190-199</ref>。スペイン内でフエロを持つ他地域、アラゴン、カタルーニャ、バスクと比べても、ナバラは高い水準の自治権を有しており<ref name=bard166>バード(1995)、pp.166-168</ref>、ナバラのみは例外的に司法権の維持を許された<ref name=bard168>バード(1995)、pp.168-170</ref>。
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=== 現代 ===
1975年の[[フランシスコ・フランコ]]死後にスペインが民主化の時期を迎えると、ナバラ県の地方政府と良好な関係を保っていた政治家は[[アドルフォ・スアレス]]が率いる[[民主中道連合]](UCD)に参加したが、1979年にはハイメ・イグナシオ・デル・ブルゴとヘスス・アイスプン・トゥエロを主導者として [[ナバーラ住民連合|ナバラ住民連合]](UPN)が設立され、民主的な[[スペイン1978年憲法]]で規定された過程への参加を拒否し、地方特権の維持を主張した。この一方で、アラバ県・ビスカヤ県・ギプスコア県は[[バスク・ナショナリズム|バスク民族主義者]]や左派政党が主流であり、1978年の[[ゲルニカ憲章]](バスク自治憲章)でナバラ県も含めた4県での自治州の設立を謳っていたが、ナバラ住民連合は[[バスク州]]への参加を拒否し、住民投票でも反対が過半数に達した。ナバラ県政府は1982年に独裁時代の制度的枠組みを引き継いだ自治憲章を策定し、ナバラ県単独でのナバラ州が成立した。バスク民族主義者や少数派の進歩的な勢力が要求した改革は住民投票によって批准されなかった。1987年にはナバラ州初公共高等教育公立大学機会を与えることを目的として[[ナバーラ州立大学]]が創設された<ref name=upnafunctions>{{cite web |url=http://www.unavarra.es/portal-transparencia/informacion-institucional/funciones?languageId=1 |title=Institutional Information : Functions |work=ナバラ州立大学]]が設立された |date= |accessdate=2015-10-02}}</ref>
 
== 政治 ==
[[File:Parlement_Navarre_2011.png|thumb|right|200px|ナバラ州議会の議席分布(2011年-)]]
 
[[フランシスコ・フランコ]]独裁政権の終焉後、1982年にナバラ自治州憲章が制定され、ナバラ県は17[[スペインの地方行政区画|自治州]]のひとつとなった。教育、社会サービス、住宅開発、都市開発、環境保護などがナバラ州の政治機関の責任下に置かれている。また、17自治州のうち15自治州では中央政府が徴税した税金の一部を各自治州に分配しているが、ナバラ州と[[バスク州]]は各県に徴税権があり、その一部が国庫に納められる<ref>萩尾・吉田浩美『現代バスクを知るための50章』明石書店、(2012)、pp.151-155</ref>。他の自治州同様に、ナバラ州議会は4年ごとに州議員選挙を行っており、議会の多数派がナバラ州政府を担当する州首相を決定する。1979年には、国民同盟(AP、[[国民党 (スペイン)|国民党]](PP)の前身)と提携する地方政党である[[ナバーラ住民連合|ナバラ住民連合]](UPN)のハイメ・イグナシオ・デル・ブルゴが初の首相に選出されたが、70議席中9議席を獲得した[[バスク・ナショナリズム|バスク民族主義]]左派政党も一定の強さを示した<ref name=bard305309/>。1980年には[[民主中道連合]](UCD、後に解散)から、1984年には[[スペイン社会労働党]](PSOE)のナバラ支部である[[ナバラ社会党]](PSN)から州首相が選出された。ナバラ社会党は7年間にわたって州首相の座を維持し、1991年からの4年間はナバラ住民連合が、1995年からの2年間はナバラ社会党が州首相の座を担ったが、1996年にはナバラ住民連合が州首相の座を奪い返し、[[ミゲル・サンス]]が15年間に渡って州首相を務めた<ref name=formerpresidents/>。2011年にはサンスに代わってナバラ住民連合の[[ジョランダ・バルシーナ]]が女性として初めて州首相に就任した<ref name=formerpresidents>{{cite web |url=http://www.navarra.es/home_en/Gobierno+de+Navarra/Presidencia/Presidentes+anteriores.htm |title=Former presidents |work=ナバーラ州政府 |date= |accessdate=2015-09-30}}</ref>。右派のナバラ住民連合と左派のナバラ社会党に加え、[[バスク・ナショナリズム|バスク民族主義]]を標榜する政党もかなりの得票を得ており、北部のいくつかの地域ではこれらの政党が多数派である。これらの政党はナバラ州とバスク州の合併を指針に挙げているが、スペインにあるすべての政党同様に、ナバラ社会党もナバラ住民連合もこの動きに反対している。2015年にはバスク民族主義党を中心とするゲロア・バイの[[ウシュエ・バルコス]]が首相に就任し、1979年以降で初めてバスク民族主義を掲げる政権が誕生した<ref name=greenleft>{{cite web |url=https://www.greenleft.org.au/node/59330 |title=Spanish elections: History made as pro-Basque coalition formed in Navarre |work=Green Left Weekly |date=2015-06-27 |accessdate=2015-09-30}}</ref>。ナバーラ住民連合は4議席減の15議席に終わり、ナバーラ国民党も議席数を半減させた<ref name=greenleft/>。
 
{| class="wikitable"
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== 経済 ==
1960年代までナバラ県の経済は[[第一次産業]]が中心だった<ref name=subete7176>ナバラ州政府(2005)、pp.71-76</ref>。山岳部では[[牧畜]]が行われて[[トウモロコシ]]や[[テンサイ]]などが栽培され、中央部の盆地には[[ヒマワリ]]や[[アブラナ]]などの加工用[[プランテーション]]が広がり、[[エブロ川]]流域には[[オリーブ]]や[[ブドウ]]の畑が広がっている<ref name=subete7176/>。1960年代には工業化が始まり、当初は繊維業や皮革業などが中心だったが、1973年には金属工業が[[第二次産業]]分野の首位となった<ref name=subete7176/>。金属工業からは[[フォルクスワーゲン]]の工場と部品工場を中心とする自動車産業が派生し、1980年代後半には自動車産業が優勢となった<ref name=subete7176/>。2000年代には第二次産業の中で自動車産業と機械鉱業が抜きんでており、主要都市の工業団地にその他の産業の工場が存在する。ペラルタ/アスコイエン<small>([[:en:Peralta|英語版]])</small>は金属工業、[[エステーリャ]]はグラフィックアート、アリョ<small>([[:en:Allo|英語版]])</small>やレイツァ<small>([[:en:Leitza|英語版]])</small>や[[サングエサ]]は製紙業、{{仮リンク|レサカ|en|Lesaca}}やベラデビダソア<small>([[:en:Vera de Bidasoa|英語版]])</small>は冶金工業、オラスティ/オラサグティア<small>([[:en:Olazti/Olazagutia|英語版]])</small>はセメント、カスカンテ<small>([[:en:Cascante|英語版]])</small>は繊維業といった具合に、第二次産業は州各地に散らばっている<ref name=subete7176/>。また、2000年代には[[風力発電]]、[[光電池]]、[[太陽光発電]]などのエネルギー産業が著しく発展し、[[再生可能エネルギー]]は州内の電気エネルギー消費の60%を賄っている<ref name=subete7176/>。ナバラ貯蓄銀行とパンプローナ貯蓄銀行が合併して誕生したナバラ銀行はスペイン有数の金融機関である<ref name=subete7176/>。ナバーラ州の1人あたりGDPは常にEU平均より約5%高い位置を維持している<ref name=upneconomy>{{cite web |url=http://www.unavarra.es/conocerlauniversidad/en-campus/the-surrounding-area/navarre?submenu=yes&languageId=1 |title=Navarre Economy |work=ナバーラ州立大学 |date= |accessdate=2015-10-02}}</ref>。
 
== 社会 ==
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[[File:Navarra - Mapa densidad euskera 2001.svg|thumb|200px|right|地域別のバスク語話者の割合]]
 
[[スペイン語]]はナバラ州全域で公用語であり、[[バスク語]]もバスク語が話される地域では公的な地位を有している<ref name=parlamento>[http://www.parlamentodenavarra.es/home.aspx Parlamento de Navarra]ナバラ州議会</ref>。1986年、ナバラ州を言語によって3領域に分割する法律が制定された。「バスク語圏」ではバスク語が普及しており、スペイン語に加えてバスク語も公用語とされている。「混合圏」と「非バスク語圏」(スペイン語圏)では段階的にバスク語の公的認知が弱められており<ref name=parlamento/>、「混合圏」でもバスク語は公的な地位を得ているが、「非バスク語圏」では公的な地位を得ていない。このため、州西の山岳地帯広くバスク語話者率話されている一方で高く、南部の平地完全早い時期からの異民族の侵入よってバペインされて者率が低{{sfn|萩尾生|吉田浩美|2012|p=138}}ナバーラにおけるバスク語話者人口[[約半数がパンプローナ]]は二言語の混合地域であに集中していが、パンプローナのバスク語話者率は約20%にすぎない{{sfn|萩尾生|吉田浩美|2012|p=138}}。2006年の調査では、州民の11.1%がバスク語話者であり、7.6%が能動的でないバスク語話者であり、81.3%がスペイン語の単一話者だった。バスク語話者が9.5%だった1991年の調査に比べて、バスク語話者の割合は増加している<ref name=IVInkesta>''IV. Inkesta Soziolinguistikoa'' Gobierno Vasco, Servicio Central de Publicaciones del Gobierno Vasco 2008, ISBN 978-84-457-2775-1</ref>。年齢別のバスク語話者割合は均質ではなく、35歳以上で低いのに対して、16-24歳では20%以上を記録している<ref name=IVInkesta/>。2011年の国勢調査によれば、バスク語話者は11.7%(63,000人)と微増した
<ref name=Vinkesta>{{cite web |url=http://www.euskara.euskadi.net/contenidos/informacion/argitalpenak/eu_6092/adjuntos/V.%20Inkesta.pdf |title=V Inkesta Soziolinguistikoa |author=<!--Staff writer(s); no by-line.--> |date=1 July 2013 |website=Eusko Jaurlaritza |publisher=Euskal Autonomia Erkidegoko Administrazioa Hezkuntza, Hizkuntza Politika eta Kultura Saila |accessdate=31 May 2014}}</ref>。
 
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=== スポーツ ===
[[File:Titin iii.jpg|thumb|right|200px|ペロタのプレー中のティティン3世]]
ナバラでは[[サッカー]]、[[狩猟]]、[[ウィンタースポーツ]]、[[ペロタ・バスカ]]などのスポーツが行われており、サッカーとペロタ・バスカは観るスポーツとしても人気がある<ref name=subete5355>ナバラ州政府(2005)、pp.53-55</ref>。サッカーの[[CAオサスナ]]、ハンドボールの{{仮リンク|SDCサン・アントニオ|en|SDC San Antonio}}(2013年解散)、ペロタ・バスカなどのプロチームがあり、フットサルの{{仮リンク|ホ[[ショタFS|en|Xota FS}}]]も全国リーグで実績を残している<ref name=subete5355/>。ペロタ・バスカの競技場は伝統的に[[教会]]に隣接していることが多く、ナバラはマルティネス・デ・イルホ(全国選手権シングルス1部優勝5度)、アイマル・オライソラ(全国優勝4度)、バリオラ(全国優勝1度)、エウギ(全国優勝3度)、ルベン・ベロキ([[バルセロナオリンピック|バルセロナ五輪]]金メダル)などの名選手を輩出している<ref name=subete5355/>。バスクの伝統的スポーツであるアイスコラリ(丸太切り競技)、アリハソツァイレ(石の持ち上げ競技)なども活気がある<ref name=subete5355/>。
 
== 出身人物 ==
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* [[ナイワ・ニムリ]](1972-) - 女優。
* [[フェルナンド・ジョレンテ]](1985-) – サッカー選手。[[2010 FIFAワールドカップ|2010W杯]]優勝メンバー。
 
 
 
 
 
 
 
<gallery>
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* 大泉陽一『未知の国スペイン –バスク・カタルーニャ・ガリシアの歴史と文化-』原書房、2007年
* ナバラ州政府政府広報官オフィス-コミュニケーション総局企画出版局[http://www.navarra.es/NR/rdonlyres/D1850D13-B358-4EA8-87D3-799278041709/256861/NavarraMano_japones.pdf ナバラのすべて] ナバラ州政府、2005年(第6版)
* 萩尾生・吉田浩美『現代バスクを知るための50章』〈エリア・スタディーズ〉明石書店, 2012年
* レイチェル・バード『ナバラ王国の歴史』狩野美智子訳、彩流社、1995年