「パウロ6世 (ローマ教皇)」の版間の差分

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| 日本語名 = <small>福者</small>パウロ6世
| タイトル = 第262代 [[ローマ教皇]]
| 画像 = [[ファイル:Paulaudenece1977Paolovi.jpg|250px]]
| 画像説明 =
| 就任 = [[1963年]][[6月21日]]
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教皇としてパウロ6世が1968年に発布した[[回勅]]「[[フマーネ・ヴィテ]]」は大きな論議を呼んだ。それはカトリック教会が人工的な産児制限を否定したためであった。この人工産児制限および司祭の[[キリスト教における独身制|独身性]]という二つの問題はこの時代に全世界で論議を呼び、教皇の頭を悩ました。
 
[[画像:Foreign trips of Paul VI.png|thumb|250px|訪れた国]]
[[画像:Nixon & Paul VI.gif|250px|thumb|[[リチャード・ニクソン]](左)と]]
「旅する教皇」といわれたパウロ6世は「初めて」づくしの教皇でもあった。教皇として初めて5大陸をめぐり、初めて[[飛行機]]を利用した教皇となり、初めて聖地[[エルサレム]]に足を踏み入れた教皇にもなった。[[エキュメニズム]](教会の一致)にも心を注ぎ、教皇として初めて[[イギリス国教会|英国国教会]]の[[カンタベリー大主教]]や、[[東方教会]]の[[総主教]]たちを訪問、[[正教会]]の[[アシナゴラス (コンスタンディヌーポリ総主教)|コンスタンディヌーポリ総主教アシナゴラス]]とも会談した。また、彼の時代、枢機卿団の人数が増やされ、80歳以上の枢機卿の[[コンクラーヴェ]]での投票権を廃するなど教皇選出の方法の改革が行われた。
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== 関連項目 ==
*[[:en:List of pastoral visits of Pope Paul VI outside Italy|List of pastoral visits of Pope Paul VI outside Italy]] - 訪れた国一覧
*[[ポール・マルチンクス]] - [[バチカン銀行]]総裁
 
{{Commons|Paulus VI|パウロ6世}}