「ナチェズ (ミシシッピ州)」の版間の差分

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ロード・マーケットの裏道はナチェズでも最も多く奴隷の売買が行われた所であり、ミシシッピ州では最も活発な[[奴隷貿易]]市場だった。このことで市内の富みを増やすことにも貢献した。市場は2つの通りの交差点にあり、1823年に奴隷交易業者であるテネシー州のアイザック・フランクリンとバージニア州のジョン・アームフィールドが土地を購入してからは特に重要な場所になった。バージニア州と[[アップランドサウス|アッパー・サウス]]から、数万人の奴隷がこの市場を通っていき、多くは陸地を徒歩で運ばれ、[[ディープ・サウス]]のプランテーションに向かった。この強制移住の中で100万人以上のアフリカ系アメリカ人がその家族と別れ、ディープ・サウスに移動した。この市場での取引は、[[北軍]]がナチェズを占領した1863年夏までに終わった<ref>Jim Barnett and H. Clark Burkett, "The Forks of the Road Slave Market at Natchez," ''Journal of Mississippi History,'' Sept 2001, Vol. 63 Issue 3, pp 168–187</ref>。
 
1845年のナチェズ大学設立より以前、市の特権階級だけが正式な教育に私的に費用を払える数少ない者達だった。親の多くはあまり教育を受けていなかったが、子供達には権威ある教育を受けさせることに熱心だった。市内では1801年に既に学校が開校されていたいたが、裕福な家庭の多くは私的な家庭教師や州外の教育機関に頼った。市内のそのように裕福ではない白人に無償教育を提供するために、ナチェズ大学を設立した。様々な経済力の家庭から子供達が教育を受けられたが、生徒の間でも階級の違いが継続し、特に学校の選択と社会的な結びつきの違いが大きかった。違法なことと考えられていたものの、奴隷の子供達も民家でアルファベットと聖書の読み方を白人遊び仲間から教えられることも多かった<ref>Julia Huston Nguyen, "The Value of Learning: Education and Class in Antebellum Natchez," ''Journal of Mississippi History,'' Sept 1999, Vol. 61 Issue 3, pp 237–263,</ref>。
 
=== 南北戦争(1861年-1865年) ===