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[[File:Women's March on Versailles01.jpg|thumb|right|350px|ヴェルサイユ行進のイラスト]]
'''ヴェルサイユ行進'''(ヴェルサイユこうしん、[[フランス語]]:La Marche des Femmes sur VersaillesVersailles)は、[[フランス革命]]の際、[[1789年]][[10月5日]])は、[[フランス革命]]の際、女性を中心とした[[パリ]]市民が[[ヴェルサイユ宮殿]]まで行進し、[[フランス]]国王[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]をパリに連行した事件である。別名「'''十月事件'''」「'''十月行進'''」。
 
== 背景 ==
革命勃発当時のフランスでは、前年の凶作や政情不安のため[[穀物]]の売り渋りが横行し、[[パン]]をはじめとする食料品の価格高騰にパリ市民は苦しんだ。
 
庶民の生活が窮乏する中にあって、ヴェルサイユ宮殿では豪奢な宴が催された。更にその席上、[[近衛兵]]が国王ルイ16世(以下「国王」)の面前で三色帽章を踏みにじった。革命の否定を示すこの報が伝わると、民衆の間に怒りが広がった。
 
== 決起 ==
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事件以後、国王一家はパリの[[テュイルリー宮殿]]に住み、事実上パリ市民に監視される日々を送ることとなる。国王と共に議会の機能もパリに移動した。
 
「封建的特権の廃止宣言」や「[[人間と市民の権利の宣言|人権宣言]]」を国王が承認したことから、政局の混乱は一応沈静化した。しかし国王一家は卑劣なことに[[ウィーン]]への逃亡を図り、それが未遂に終わり([[ヴァレンヌ事件]])、民衆は王家に対する不信を決定的なものにし、国王夫妻を裁判にかけ、裁判で[[有罪]]と明らかにされた国王夫妻は処刑されるに至る。
 
{{フランス革命}}