「ユーゴスラビア」の版間の差分

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[[ファイル:Kralj aleksandar1.jpg|thumb|right|200px|国王アレクサンダル1世]]
国王アレクサンダルは、中央集権化を進めるとともに、「ユーゴスラビア」という単位での国民統合を企図した。ヴィドヴダン憲法で定められていた33の地方行政区(オブラスト)を再編し、歴史的経緯などによらない自然の河川などよって画定された9つの[[バノヴィナ|州]](バノヴィナ)を配置した。
 
[[1931年]]に新憲法を布告し、中央集権主義と国王独裁を強めた。このため、連邦制・地方自治を求めるクロアチア人の不満はいっそう高まる事になった。[[1934年]]、国王アレクサンダルが[[フランス]]外相とともに[[マルセイユ]]で[[暗殺]]され、[[ペータル2世 (ユーゴスラビア王)|ペータル2世]]が即位した。この暗殺は、クロアチアの民族主義組織[[ウスタシャ]]や、[[マケドニア]]の民族主義組織・[[内部マケドニア革命組織]]によるものと考えられている。