「2004年のパシフィック・リーグプレーオフ」の版間の差分

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Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
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=== 第2ステージ ===
この年のプレーオフ第2ステージでは、シード枠の勝率1位・ダイエーと第1ステージ勝ち抜けチームとのゲーム差が5以上あった場合にはダイエーに予め1勝分のアドバンテージが付くことになっていたが、第1ステージ勝ち抜けの西武とはゲーム差4.5であったためアドバンテージはなく、通常の5戦3勝制で優勝が争われた。因みにこの年の近鉄とオリックスの合併騒動により端を発したプロ野球再編問題に対して行われた選手会によるストライキにより中止されたレギュラーシーズン最後の2試合はダイエー対西武戦であり、ダイエー側にとってはこれによって5ゲーム差をつけるチャンスを失うという皮肉な結果となった。
 
また、このプレーオフではレギュラーシーズンで[[三冠王]]を獲得した松中が全5試合で19打数2安打1本塁打の不調だったことが最後まで響いた。特に2安打目が出た第5戦では9回裏に同点に追いついてなおも2死2.3塁とサヨナラのチャンスで打席を迎えたが、凡退してしまった。ここでランナーを帰していれば、サヨナラ逆転リーグ優勝が決まっていた。ダイエーは次の延長10回に勝ち越され、西武の2年ぶりのリーグ優勝が決まった。ダイエーは、ダイエーとして最後の年に優勝できずに2004年に幕を閉じた。
 
==== 第1戦 ====
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==== 第5戦 ====
最終第5戦はダイエーが第1戦先発の新垣、西武は中3日で第2戦先発の松坂の先発で始まった。4回表まで無得点で進んだが4回裏、ダイエーは城島の本塁打で先制、さらに四球の[[ペドロ・バルデス|バルデス]]を一塁に置いて、ズレータが二塁打を放った。しかしセンター赤田の好返球でバルデスは本塁でタッチアウトとなった。5回にもダイエーは[[柴原洋]]を二塁に置いて[[宮地克彦]]がライトにヒットを放った。しかし、ライト[[小関竜也]]の好返球で柴原は本塁でタッチアウト、追加点を奪えなかった。西武は6回表、一死満塁のチャンスをつかむと代打に[[石井義人]]を起用、石井はレフトフェンス直撃の二塁打を放ち2-1と逆転、さらに野田の犠飛で1点を追加、3-1とした。松坂は中3日の影響もあり6回で降板、西武は継投で逃げ切りをはかった。だが、8回裏、ダイエーは先頭の井口が[[小野寺力 (野球)|小野寺力]]から本塁打を放ち、1点差と迫ると、一死後に城島が四球を選び同点のチャンスを迎えた。ここで西武はクローザーの豊田を投入し、バルデス、ズレータを連続三振に斬ってとった。このまま西武が逃げ切ると思われたが9回裏ダイエーは粘りを見せ、先頭の鳥越が二塁打を放つと、送りバントで三塁に進んだ後、柴原に同点タイムリーが飛び出し土壇場で3-3の同点となった。この後、井口の二塁打で22.3二,三塁のサヨナラ逆転リーグ優勝のチャンスを迎えるが豊田は不振の松中を打ち取り延長戦となった。10回表西武は先頭の小関が二塁打で出塁、送りバントと敬遠の後、代打の[[犬伏稔昌]]がセンターに犠飛を放ち勝ち越し、その裏を石井貴が締め、西武ライオンズが2年ぶり20度目のリーグ優勝に輝いた。一方、[[ダイエー]]はこのシーズンのオフに[[ソフトバンク]]に球団を身売りしたため、結果的にこの試合が福岡ダイエーホークスとしての最後の試合となった。
 
=== 戦評 ===