「ザグロス山脈」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2015年10月}}
[[ファイル:Tectonic map Mediterranean EN.svg|300px|right|thumb|ザグロス山脈とアラビア・ユーラシア両プレートの位置関係]]
[[File:Iran topo-fr.jpg|240px|thumb|right|ペルシャ湾の北を北西に伸びるザグロス山脈]]
[[ファイル:Zagros 1992.jpg|250px|right|thumb|ザグロス山脈]]
'''ザグロス山脈'''({{Rtl-langWithName|fa|ペルシア語|رشته كوه زاگرس}}、{{Rtl-langWithName|ar|アラビア語|جبال زغروس}}、{{langWithName|ku|クルド語|''çiyayên Zagrosê''}}、{{LangWithName|en|英語|''Zagros Mountains''}})は、[[イラン高原]]の南西の[[山脈]]。[[イラン]]の南西部から[[イラク]]、[[トルコ]]それぞれの[[国境|国境線]]となる[[山脈]]である。最高峰はトルコ領内の[[アララト山]]({{lang-tr|Ağrı Dağı}} - {{lang-hy|Արարատ}} - {{lang-fa|کوه آرارات}} - ''Kūh Ararat'':5,165m)で、イラン領内には{{仮リンク|ザルド山|en|Zard-Kuh}}({{lang-fa|زردکوه}} - ''Zard Kūh'':4,548m)がそびえる。
 
== 概要地理 ==
ザグロス山脈はトルコの国境地帯から[[ガズヴィーン]]・[[ハマダーン]]・[[ケルマーンシャー]]を結ぶ西北ザグロス、ケルマーンシャーから[[バンダレ・アッバース]]・[[ホルムズ]]に至る狭義のザグロス山脈に分けられ、時にはイランと[[パキスタン]]の国境方面に伸びる[[マクラーン山脈]]がザグロス山脈の一部に含まれることもある<ref name="sl-jiten">『シルクロード事典』、122-123頁</ref>。ザグロス山脈には、規模の大きい[[渓谷]]、[[盆地]]が多く含まれている<ref name="sl-jiten"/>。山脈の北斜面を縫って走る[[シーラーズ]]からハマダーンを結ぶ幹線道路が建設されている。
 
ザグロス山脈は[[メソポタミア平野]]の東の境界となる褶曲山脈で、ペルシア湾から吹きつける高温多湿の空気を遮っている<ref name="sl-jiten"/>。山脈は、[[アラビアプレート]]が[[ユーラシアプレート]]に衝突して形成された。山脈を構成する[[堆積岩]]のうち、軟らかい岩石は浸食され、硬い[[石灰岩]]や苦灰岩が残ったため峰が線状に何重にも連なったと考えられる。このような地質構造は[[石油]]の生成と集積を引き起こしたため、この地域はペルシャ湾産油地帯で重要な地位を占めている。山脈内には[[岩塩ドーム]]と[[岩塩氷河]]がよく見られる。非浸透性の[[岩塩]]は石油を閉じ込めるため、岩塩ドームは石油探鉱の重要な対象となっている。
 
ザグロス山系に属する地域は1月に気温の低い日が続き、8月に最も気温が高くなる<ref name="sl-jiten"/>。降雨に恵まれた[[シーラーズ]]から西北の地域では農耕と定住生活を営むことができ、東南部にも雨水を利用した農業を営むことができる地域が点在する<ref name="sl-jiten"/>。
ザグロス山脈は、イラン西部から[[ペルシャ湾]]の[[ホルムズ海峡]]まで全長1,500キロメートルに及んでいる。
 
== 歴史のなかのザグロス山脈 ==
山脈は、[[アラビアプレート]]が[[ユーラシアプレート]]に衝突して形成された。山脈を構成する[[堆積岩]]のうち、軟らかい岩石は浸食され、硬い[[石灰岩]]や苦灰岩が残ったため峰が線状に何重にも連なったと考えられる。このような地質構造は[[石油]]の生成と集積を引き起こしたため、この地域はペルシャ湾産油地帯で重要な地位を占めている。山脈内には[[岩塩ドーム]]と[[岩塩氷河]]がよく見られる。
山脈内には古代[[オリエント]]を統一した[[アケメネス朝]]の[[首都]]、[[ペルセポリス]]の[[遺跡]]がある。また、古代ペルシアでは山脈の中央を通過する[[イブン・バットゥータペルセポリス]]の『から[[大旅行記エクバタナ]](ハマダーン)は、ザグロス山脈を越え14世紀の[[隊商]]の記述道路ある利用されていた<ref name="sl-jiten"/>また、旧約聖書に出てくるノアのアークはザグロス山脈とアララト山脈の間のどこかに漂着した、と言われている。
 
14世紀の旅行家[[イブン・バットゥータ]]は『[[旅行記 (イブン・バットゥータ)|大旅行記]]』の中でホルムズからザグロス山脈を越えてシーラーズに向かったことを述べている<ref>バットゥータ『大旅行記』7巻(家島訳注)、135-136頁</ref>。
非浸透性の[[岩塩]]は石油を閉じ込めるため、岩塩ドームは石油探鉱の重要な対象となっている。
 
== 歴史のなかのザグロス山脈 ==
山脈内には古代[[オリエント]]を統一した[[アケメネス朝]]の[[首都]]、[[ペルセポリス]]の[[遺跡]]がある。また、[[イブン・バットゥータ]]の『[[大旅行記]]』には、ザグロス山脈を越える14世紀の[[隊商]]の記述がある。また、旧約聖書に出てくるノアのアークはザグロス山脈とアララト山脈の間のどこかに漂着した、と言われている。
 
== 関連項目脚注 ==
{{Reflist}}
* [[ザクロ]]
 
== 参考文献 ==
* イブン・バットゥータ著、イブン・ジュザイイ編、[[家島彦一]]訳『大旅行記』7巻全8巻)[[平凡社]]&lt;[[平凡社家島彦一訳注, 東洋文庫]]&gt;、[[1996年]]-[[, 平凡社, 2002年]]。7月)
* 『シルクロード事典』(前嶋信次、加藤九祚共編、芙蓉書房、1975年1月)
 
{{Commonscat|Zagros Mountains}}
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[[Category:イラクの地形]]
[[Category:トルコの山地]]
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