削除された内容 追加された内容
でここ (会話 | 投稿記録)
でここ (会話 | 投稿記録)
54行目:
 
なお、[[1902年]]([[明治]]35年)に[[中央本線]]の[[鳥沢駅|鳥沢]]-[[大月駅|大月]]間が開業した際には猿橋の脇を通っていたため、列車内から橋が眺められた。しかし、[[1968年]](昭和43年)[[梁川駅 (山梨県)|梁川]]-[[猿橋駅|猿橋]]間複線化の際に途中駅の鳥沢駅から[[新桂川橋梁 (中央本線)|新桂川鉄橋]]で桂川を渡り、猿橋駅に至る南回りのルートに変更されたため、列車内から橋を眺めることはできなくなった。
 
この橋の近くでは[[室町時代]]の[[1426年]]([[応永]]33年)に[[鎌倉公方]][[足利持氏]]配下の[[一色時家|一色持家]]と[[甲斐国|甲斐]]の[[国人]][[武田信長]]が交戦、一色が勝利して武田信長を[[鎌倉]]へ捕虜として連れ去ったとされる(猿橋の戦い)。
 
== 画像 ==