「ポコ (バンド)」の版間の差分

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== 来歴 ==
[[1968年]]に[[バッファロー・スプリングフィールド]]が解散し、メンバーの[[リッチー・フューレイ]]と[[ジム・メッシーナ]]、[[ランデ・マイズナー]]、[[ラスティー・ヤング]]、[[ジョージ・グランサム]]を加えてPogo(ポゴ)を結成するが、[[ウォルト・ケリー]]作の有名コミックにポゴという名のキャラクターがおり、ウォルト・ケリー本人からのクレームを受けてポゴに近い名前としてPoco(ポコ)と改名する。
 
[[1969年]]、スタジオで作業をしていた[[リッチー・フューレイ]]と[[ジム・メッシーナ]]が編集作業の要請を拒否したことに憤慨した[[ランディ・マイズナー]]はデビュー・アルバムのリリース前に脱退し、後に[[イーグルス]]のオリジナルメンバーとなる。ランディ・マイズナーの脱退に伴い、リッチー・フューレイとジム・メッシーナはランディ・マイズナーのボーカルを他のメンバーのものに替え、ベースパートを一部ジム・メッシーナが録音し直し、ジャケットからランディ・マイズナーを削除した。空席になったベーシストの位置に一旦[[ジム・メッシーナ]]が付くが、[[ランディ・マイズナー]]のような高音パートを必要と考えたポコのメンバーはすぐに後任として元Gladの[[ティモシー・B・シュミット]]を迎えた。
ちなみに[[ティモシー・B・シュミット]]はポコの結成時にベースのオーディションに参加していたが、[[ランディー・マイズナー]]が採用されたため、このような形での加入となった。
 
[[1970年]]、[[リッチー・フューレイ]]のバンド運営専制化に嫌気がさした[[ジム・メッシーナ]]が脱退し、後に[[ロギンス&メッシーナ]]を結成することになる。後任として[[ポール・コットン]]が加入した。
 
[[1973年]]にリッチー・フューレイが、ヒットを期待して作った「A Good Feelin' To Know」をシングルカットし、4枚目のスタジオアルバム『A Good Feelin' To Know』をリリースした。しかしこれも期待通りには売れず、リッチー・フューレイが脱退後に[[サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンド]]を結成することとなる。その後、バンドの存続について話し合い、残った4人で活動を続けることになる。Fab Four(Fantastic Four Era)と呼ばれるこの時代は10枚目のアルバムまでメンバー、楽曲が安定しており、この頃のポコを好むファンも多い。
 
[[1977年]]にはティモシー・B・シュミットが[[イーグルス]]への加入のために脱退した。奇しくもこの時も[[ランディ・マイズナー]]の後任としてであった。
その後ラスティ・ヤングとポール・コットンは新しいメンバーを加えてバンド名を変えて活動しようとするが、ポコの知名度を重視していたレコード会社側の圧力もあり、[[1978年]]にバンド名をポコのままで11枚目のアルバム『Legend』をリリースした。このアルバムはBillboardチャートで14位になり、Gold Discを獲得、皮肉にもポコ最大のヒットとなった。
 
その後メンバーチェンジの繰り返しなどもあり、解散状態になったが、[[1988年]]にラスティ・ヤングが過去のメンバーに再結成を呼びかけ、[[1989年]]にバンドの宣伝も考慮してオリジナルメンバーで再結成を果たした。
同年9月には18枚目のアルバムとなる『Legacy』がリリースされ、11月にはシングルカットされた「Call It Love」がBillboardチャートで18位になった。
この曲は、バンドのメンバーで唯一一度も脱退することなくポコを守り続けたラスティがボーカルを担当した。
 
その後はメンバー交代を繰り返しながら活動し、[[2002年]]には18枚目のアルバムかつかかつ『Running Hose』がリリースされ、精力的なライブ活動も行った。
 
[[2004年]]にはオリジナルメンバーのドラマー[[であるジョージ・グランサム]]がステージ上で発作を起こし半身不随となり、リハビリに専念するため彼は正式メンバーから外れることになった。
 
その後も精力的に活動していたが、[[2010年]]長年メンバーであったポール・コットン、メンバー内での収入の分割についての対立などにより脱退した。
 
[[2013年]]にオリジナルメンバーが[[ラスティー・ヤング]]のみとなったポコ11年ぶりのスタジオアルバムとなる『All Fired Up』をリリースした。
 
==作品 ==