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[[1972年]]、[[和光大学]][[助教授]]に就任。[[1976年]]、同大学[[教授]]に就任。[[2004年]]、同大学を定年退職<ref>『絞り出し ものぐさ精神分析』前掲書、259頁。</ref>。
 
雑誌『[[現代思想 (雑誌)|現代思想]]』『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』によって思想界にデビュー。1977年に上梓した『[[ものぐさ精神分析]]』はマスコミを中心に話題となり、当時の思想界の若きスターだった[[柄谷行人]]も岸田の理論には注目していた。また、岸田の理論を信奉した[[伊丹十三]]は1981に岸田をメインにすえた思想雑誌『モノンクル』を刊行した。
 
1980年代に到来する「[[ニュー・アカデミズム]]」の先駆とでもよべる人物であり、またる。なお、[[学者]]・[[研究者]]としてどの[[学会]]にも属していない。
 
== 思想 ==
岸田は、[[ルイス・ボルク]]([[:en:Louis Bolk|Louis Bolk]])の[[胎児化]]説や[[アドルフ・ポルトマン]]([[:en:Adolf Portmann|Adolf Portmann]])の[[生理的早産]]説などを統合した[[アルノルト・ゲーレン]]の「欠陥生物」論をうけて「人間は[[本能]]の壊れた動物である」とし、[[自我]]、[[家族]]、[[国家]]に及ぶ独自の思想、「[[唯幻論]]」を『ものぐさ精神分析』(およびその原点となっに収録され雑誌掲載の論文「日本近代を精神分析する-精神分裂病としての日本近代」「国家論」などで提唱する。例えば日本はアメリカによって[[強姦|レイプ]]されたと、暗喩し[[白旗]]の起源や[[日章旗]]の[[日の丸]]が血を意味している、つまり無理やり開国されられたのことは象徴的だというようになど。[[常識]]として疑われることなく通用している[[意味]]、[[観念]]を幻想といいきり、徹底的な相対化をおこなう、いわば「価値の紊乱(びんらん)」にこそ、この思想の独創性が見出せる。語り口の痛快さによって多くの読者を得て、[[1980年代|80年代]]前半の思想界の注目を集めた。
 
『ものぐさ精神分析』を出版した際、「自分が言いたいことは一つしかない、著作はこの一冊でお終いだ」と宣言し、実際『ものぐさ精神分析』における唯幻論の思想はその後も変わらず一貫性を保っている。
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*[[ニュー・アカデミズム]]
*[[精神分析]]
* [[ジークムント・フロイト]]
 
==外部リンク==