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'''セルゲイ・ヴィノグラドスキー'''(
硫黄細菌、鉄細菌、硝化菌などの研究で知られる。硫化水素を酸化するエネルギーで自分の体を合成する硫黄細菌(ベギアトア)を発見し、アンモニウウム塩を酸化して硝酸塩に変える、2種類の細菌、[[亜硝酸菌|アンモニウム酸化菌]]と[[硝酸菌|亜硝酸酸化菌]]の存在することを証明した。土壌のなかに空気中の窒素をアンモニアに変える窒素固定菌(クリストリジュウム菌)を分離し、純粋培養した<ref>『微生物を探る』 服部勉(著) [[新潮選書]](1998年)</ref>。
== 生涯 == [[キエフ]]に生まれた。キエフの大学を中退した後、[[サンクトペテルブルク]]のImperial Conservatoire で2年間ピアノ演奏を学んだ。1877年に、サンクトペテルブルク大学に入学し、化学を Nikolai Menshchutkin、植物学をAndrei Sergeevich Famintzinに学んだ。1884年に植物学の学位を得てサンクトペテルブルク大学、有名な植物学者、微生物学者の[[アントン・ド・バリー]]のもとで微生物の研究を行い、硫黄細菌の研究で有名になった。1888年にスイスの[[チューリヒ]]に移り、アンモニウム酸化菌と亜硝酸酸化菌などの研究を行った。1891年から1905年の間はサンクトペテルブルクに戻り、実験医学研究所の微生物学をひきいた。1901年、モスクワ自然科学学会の名誉会員になり、1902年フランス[[科学アカデミー (フランス)|科学アカデミー]]の友好会員に選ばれた。1905年に一旦、科学的な活動から引退し、チューリヒに住んだ後、1922年にパリ近郊の[[パスツール研究所]]の農業微生物学(agricultural bacteriology)部門の部長の職をうけ、研究に復帰した。1935年[[レーウェンフック・メダル]]受賞。1940年に引退し、パリで没した。 {{Botanist|Winogr.}}
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