「アントニー・ヒューイッシュ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
infobox他
1行目:
{{Infobox Scientist
|name = アントニー・ヒューイッシュ
|image =
|caption =
|birth_date = {{生年月日と年齢|1924|5|11|no}}
|birth_place = {{GBR}}<br>[[コーンウォール州]]フォイ
|death_date =
|death_place =
|residence = {{GBR}}
|nationality = {{GBR}}
*|field = [[電波天文学]]
|work_institution =
|alma_mater = キングスカレッジ ([[トーントン]])、[[ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジ]](学士)<br />[[ケンブリッジ大学]][[キャベンディッシュ研究所]](博士)
|doctoral_advisor =
|doctoral_students =
*|known_for = [[パルサー]]の研究
|prizes = [[エディントン・メダル]] (1969)<br />[[ノーベル物理学賞]] (1974)<br />[[ヒューズ・メダル]] (1977)
|religion =
|signature =
|footnotes =
}}
{{thumbnail:begin}}
 
{{thumbnail:ノーベル賞受賞者|1974年|ノーベル物理学賞|電波天体物理学の先駆的研究、パルサーの発見における決定的役割}}
{{thumbnail:end}}
'''アントニー・ヒューイッシュ'''('''Antony Hewish''', [[1924年]][[5月11日]] - )は[[イギリス]]の電波天文学者。[[パルサー]]を発見した功績によって[[1974年]]に同僚の[[マーティン・ライル]]とともに[[ノーベル物理学賞]]を受賞した。[[1969年]]には英国[[王立天文学会]]の[[エディントン・メダル]]も受賞している。
 
== 生い立ち ==
ヒューイッシュは[[イングランド]]南西部の[[コーンウォール州]]フォイに生まれた。
 
[[ケンブリッジ大学]]の学部生時代に兵役のために[[ロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメント]] (RAE) に配属され、学業を一時中断した。後に[[レーダー]]の空軍への応用を研究していた通信研究所 (Telecommunications Research Establishment) に移り、そこでマーティン・ライルとともに働いた。[[1946年]]にケンブリッジに戻ると、ヒューイッシュは卒業単位を取得して直ちに[[キャベンディッシュ研究所]]のライルの研究チームに加わり、[[1952年]]に博士号を取得した。ヒューイッシュは[[電波源]]から放射された[[電波]]が[[プラズマ]]に影響を与えることで生じる[[シンチレーション]]を観測し活用する手法を理論と実用の両面で進歩させた。
 
これをきっかけにして彼は、星間シンチレーションを高い時間分解能で電波サーベイ観測するために、ケンブリッジの[[マラード電波天文台]] (MRAO) に惑星間シンチレーションアレイ (Interplanetary Scintillation Array) と呼ばれる大規模な[[電波望遠鏡]]アレイを建設する提案を行い、そのための補助金を得た。

== ノーベル物理学賞 ==
この計画の途中の1967年、彼の元で観測に携わっていた当時大学院生の一人だった[[ジョスリン・ベル・バーネル|ジョスリン・ベル]]が、後に最初のパルサーと判明する電波源を初めて発見した。
 
パルサーの発見を報告した論文は5人の共著で、ヒューイッシュの名前が筆頭でベルが2番目だった。この業績に対するノーベル賞はライルとヒューイッシュが受賞し、ベルは共同受賞者とはならなかった。このことは議論を巻き起こし、特にヒューイッシュの同僚の天文学者[[フレッド・ホイル]]は強く非難した。しかし大部分の人々は、この賞はライルとヒューイッシュが[[電波天文学]]の分野全般にわたって成し遂げた業績、特にライルの[[開口合成]]についての仕事とヒューイッシュのパルサーに関する仕事に対して贈られたものであるということを認識している。
 
== その後の経歴 ==
ヒューイッシュは[[1968年]]には[[王立協会]]の会員となった。また[[1971年]]から[[1989年]]までキャベンディッシュ研究所の電波天文学の教授を務め、[[1982年]]から[[1988年]]まで MRAO マラード電波天文台の所長に就任した。[[1968年]]には[[王立協会]]の会員となり、[[1974年]]にマーティン・ライルとともにノーベル物理学賞受賞し務めた。
 
==関連項目==
*[[CP 1919]] - ノーベル賞受賞のきっかけとなった、史上初めて発見された[[パルサー]]。
*[[CP 1919]]
*[[電波天文学]]
*[[パルサー]]
 
==外部リンク==