「日本のダムの歴史」の版間の差分
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=== 昆陽池と大門池 ===
[[File:Koyaike pond Aerial photograph.jpg|thumb|200px|right|[[1979年]](昭和54年)の[[昆陽池]]<ref name="kokudo">{{国土航空写真}}</ref>。画面左上は天神川。]]
上記2ダム以外で古代から中世の日本ダム事業史において特
昆陽池は[[兵庫県]][[伊丹市]]にあるため池であるが、このため池は狭山池や満濃池とは異なる目的を持っていた。昆陽池は[[武庫川]][[支流]]の天神川に隣接して建設されたが、この土地は西に武庫川、東に[[猪名川]]が流れ[[箕面川]]が合流する地点であり洪水常襲地帯であった。昆陽池は行基によって建設が進められたが、この地の灌漑に加えて洪水調節による治水を昆陽池の目的に据えて[[731年]](天平3年)に完成させた。昆陽池は[[治水ダム]]としても[[多目的ダム]]としても記録に残る日本最初の堰堤であり、流域の治水・[[利水]]に貢献した。昆陽池は1,300年近く経た現在、治水機能は無くなったものの[[上水道]]専用貯水池および[[公園]]として伊丹市が管理しており、[[阪神・淡路大震災]]では[[活断層]]上にあって強い揺れを受けたにも関わらず現役で運用されている<ref>『湖水を拓く』p.95</ref>。
一方大門池は奈良県[[生駒郡]][[三郷町]]、[[信貴山]]の麓を流れる[[大和川]][[水系]]大門川に[[1128年]](大治3年)建設された灌漑専用のため池であるが、
== 中世・近世 ==
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