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{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|1970年|ノーベル経済学賞|静学的および動学的経済理論の発展に対する業績と、経済学における分析水準の向上に対する積極的貢献を称えて}}
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'''ポール・アンソニー・サミュエルソン'''(Paul Anthony Samuelson, [[1915年]][[5月15日]] - [[2009年]][[12月13日]])は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]を代表する[[経済学者]]。<br />[[ケインズ経済学]]と[[新古典派経済学]]を#新古典派総合する[[|新古典派総合]]や「顕示選好理論を確立す」で知られる。著書『第1回[[経済学ジョン・ベイツ・クラーク賞]]』は長らく近代経済学の基本的教科書とされてきた。受賞([[19701947年]]第2回[[アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞]]受賞([[1970年]])<ref name="ida2013">[[依田高典]](2013)『現代経済学』、放送大学教育振興会、pp.15-21。</ref>
 
{{要出典|範囲=同じく経済学者の[[:en:Robert Summers|ロバート・サマーズ]]は実弟。[[ビル・クリントン|クリントン]]政権で[[アメリカ合衆国財務長官|財務長官]]を務め、[[バラク・オバマ|オバマ]]政権の[[アメリカ合衆国国家経済会議|国家経済会議(NEC)]]委員長を務めている[[ローレンス・サマーズ]]は甥に当たる。|date=2015年10月}}
 
== 略歴 ==
[[1915年]]に[[インディアナ州]][[ゲーリー (インディアナ州)|ゲーリー]]の[[ユダヤ人]]家庭に生まれ、大恐慌の最中であった[[1932年]]には16歳で[[シカゴ大学]]に入学、[[1935年]]に卒業した<ref name="ida2013"/>。その後、[[1936年]]に[[ハーバード大学]]大学院に進学し、[[1941年]]に博士号を取得した<ref name="ida2013"/>。シカゴ大学で[[フランク・ナイト]]ら[[シカゴ学派 (経済学)|シカゴ学派]]から価格理論を叩き込まれ、ハーバード大学で[[数学]]や[[物理学]]を修めたことが、後の彼の理論的性格を方向付けたと言われる<ref name="sawa2001">[[佐和隆光]]「P.A.サミュエルソン:科学としての経済学」、日本経済新聞社編著(2001)『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』、日本経済新聞社、pp.58-72。</ref>。学位取得に先立ち、[[マサチューセッツ工科大学|MIT]]で教鞭を執り、[[1944年]]に[[准教授]]、[[1947年]]には[[教授]]となった<ref name="ida2013"/>。<br>1947年に出版された『経済分析の基礎』で一躍有名になり、その後は、[[ジョン・ベイツ・クラーク賞]]受賞(1947年)、[[Econometric Society|計量経済学会]]会長([[1953年]])、[[アメリカ経済学会]]会長([[1961年]])、[[アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞]]受賞([[1970年]])、[[アメリカ国家科学賞]]受賞([[1996年]])など、数々の栄誉に輝いた<ref name="ida2013"/>。<br>[[2009年]] に[[マサチューセッツ州]]の自宅で死去。94歳であった<ref>[http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-12921720091214 ノーベル経済学賞のP・サミュエルソン氏が死去、94歳](ロイター、2009年12月14日)2015年10月最終閲覧。</ref>。
{{年譜のみの経歴|date=2015年8月}}
*1915年 [[インディアナ州]][[ゲーリー (インディアナ州)|ゲーリー]]の[[ユダヤ人]]家庭にて生まれる。
*16歳で[[シカゴ大学]]に入学、大恐慌の最中でもあった。
*[[1935年]] シカゴ大学[[学位と称号|学士号]]を取得。
*[[1936年]] [[ハーバード大学]]修士。
*[[1940年]] [[マサチューセッツ工科大学]]([[MIT]])経済学講師。
*[[1941年]] [[ハーバード大学]][[博士号]]を取得。
*[[1944年]] [[マサチューセッツ工科大学]]の[[准教授]]となる。
*[[1947年]] [[教授]]となった。また、第1回[[ジョン・ベーツ・クラーク賞]]を受賞した(32歳)。
*1947年 『経済分析の基礎』(学位論文)を出版。
*1948年 『経済学』を出版。
*1953年 [[Econometric Society|計量経済学会]]会長。
*[[1961年]] [[アメリカ経済学会]]会長。
*[[1966年]] [[マサチューセッツ工科大学]]([[MIT]])制度教授(インスティチュート・プロフェッサー;豊富な研究機会と希望の講義スケジュールをもてる)。
*[[1970年]] [[ノーベル経済学賞]]を受賞した(55歳)。
*[[1996年]] [[アメリカ国家科学賞]]も授与された。
*[[2009年]] [[マサチューセッツ州]]の自宅で死去。94歳であった。
 
== 業績 ==
{{大言壮語|date=2015年8月|section=1}}
{{言葉を濁さない|date=2015年8月|section=1}}
*{{要出典|範囲=経済学を電気回路理論など物理現象を模擬して、数学的に精密化し、[[モデル科学]]として提案した<ref> 経済分析の基礎</ref>
|date=2015年10月}}。
*静学・動学的理論など[[理論経済学]]や多岐にわたる[[応用経済学]]の分野で幅広く活躍し'''近代経済学の父'''とも呼ばれる。
*[[新古典派経済学]]に[[ジョン・メイナード・ケインズ]]の[[マクロ経済学]]的分析を組み合わせた'''[[ケインズ経済学#歴史|新古典派総合]]'''の創始者である。
*[[1854年]]に発表した論文「公共支出の純粋理論」(『レビュー・オブ・エコノミクス・アンド・スタティスティクス』1954年11月号所収)において、[[公共財]]を初めて厳密に定義し、公共財の最適供給条件である「サミュエルソン条件」を導出した<ref>[[マーク・ブローグ]](1994)『ケインズ以後の100大経済学者』、pp.252-256。</ref><ref>[[奥野正寛]]編著(2008)『ミクロ経済学』、東京大学出版会、pp.329-330。</ref>。
*[[厚生経済学]]の分野では、リンダール・ボーウェン・サミュエルソン条件(ある行動が[[福祉]]をより良くするかどうかを決める判断基準)で知られている。
*また、公共<!--(または国家?)-->財政理論においては特に[[公共財]](public goods)と[[私的財]](private goods)における資源の最適配分決定についての研究で知られている。
*一方、彼は有名な経済学の[[教科書]]『経済学(Economics: An Introductory Analysis)』の著者としても知られる。日本では、親交の深かった[[都留重人]]が翻訳を行った。{{要出典|範囲=この教科書は、1970年代、1980年代に最も多くの読者を獲得した経済学の教科書である。41ヶ国語に翻訳、世界でじつに400万部以上が刊行された。初版は、[[1948年]]に発行し、以降50年に渡って定期的に改訂版が出版され続けてきた。|date=2015年10月}}。難解過ぎたため理解者を欠いていた[[ジョン・メイナード・ケインズ]]の思想を学生が理解できる水準までわかりやすく解説した。{{要出典|範囲=この本が後の経済学界へ与えた影響は大きい。|date=2015年10月}}。
 
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== ノーベル経済学賞受賞について ==
[[1969年]]に[[ノーベル経済学賞]]が設立されたのは、サミュエルソンに[[ノーベル賞]]を与えるためと言われることもある<ref>日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、58頁。<name="sawa2001"/ref>。経済学者の[[佐和隆光]]は、サミュエルソンのノーベル経済学賞受賞の理由について「一般的な理由でノーベル賞を受けた人は、後にも先にもサミュエルソンのみであり、それだけサミュエルソンの近代経済学への貢献が大きかった」と述べている<ref name="keizaigakunokyojin5859sawa2001">日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、58-59頁。</ref>。佐和は「二十世紀後半の経済学は善悪はともかく、サミュエルソンの描いたシナリオ通りに展開してきた。だから経済学のノーベル賞も成り立ち得たし、サミュエルソンがノーベル経済学賞の栄誉に輝いたのも故無しとはしない」と述べている<ref name="keizaigakunokyojin5859sawa2001" />。
 
サミュエルソンは「人生には無上の喜びといえるものは無いが、この賞はそんな喜びを私に与えてくれた」「この名誉は嬉しい驚きであり、早く訪れた。私の家族はストックホルムでのお祭り騒ぎを楽しんだ」と述べている<ref>ウィリアム・ブレイト、ロジャー・W. スペンサー編著 『経済学を変えた七人-栄光のノーベル経済学賞受賞者』 勁草書房、1988年、121-122頁。</ref>。