「春秋穀梁伝」の版間の差分
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『穀梁伝』の注釈者は『公羊伝』『左氏伝』ほど多くはなく、『穀梁伝』全てに渉って解釈した注釈書となると、その数は限られている。
注釈書の中で最も基本となるのは、
范寧の『穀梁伝集解』が出て以後、穀梁伝研究は左程進展しないばかりか、辛うじてテキストの保存が可能なだけで、その解釈を伝えるものは絶えていなくなっていた。それでも唐王朝による中国統一と、それにともなく南北経学の統一によって『[[五経正義]]』が成立すると、その選定者の一人'''楊士勛'''は、改めて范寧等の『集解』に疏(注釈を注釈したもの)を作り、ここに穀梁伝の古注は完成した。十三経注疏の中に入れられる『'''穀梁伝注疏'''』は、范寧と楊士勛の注釈を指すことになった。
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