「櫻井澄夫」の版間の差分

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'''櫻井 澄夫'''(さくらい すみお、桜井澄夫とも書く。[[1948年]] - )は文化史研究家、地名研究家、[[毛沢東]]バッジ研究家、[[ペイメントシステム]]、[[貨幣制度]]、[[クレジットカード]]研究家、クレジットシステム、海外関連業務コンサルタント。横浜地方史、日中関係史、都市比較論研究家。寄稿家。[[東京]]生まれ。[[神奈川県]][[横浜市]]在住。[[慶應義塾大学]]文学部史学科卒業。
飛鳥田一雄(元横浜市長)、鳴海正泰、松沢常男に続く、横浜地名研究会4代目会長。地名関係の各種講演、地方自治体の研修講師、大学(中国の南京大学地名専修課程)の特別講師を務め、また長く大手銀行系クレジットカード関連企業に勤務して、国内、アメリカ、香港、中国などに駐在し、この方面での業務企画、営業、海外展開、現地営業、広告宣伝などの専門家として勤務し、国の内外で、クレジットカード・ペイメントカード関連の各種大会や行事、セミナー、社員教育などでの講演、講義などを行っている。豊富なカードやペイメントシステムの実務経験に基礎を置く、世界のペイメントカードの歴史研究と19世紀から現在に至る関連資料の収集、ペイメントカード分野での執筆活動は業界内では特によく知られている。
 
== 概要 ==
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また、特に文革への関心から始まった、中国や欧米のバッジの収集や研究のレベルは、櫻井の研究のはるかに後塵を拝しており、例えば2008年に出版された大英博物館の毛バッジの図録(Chairman Mao BadgesーーSymbols and Slogans of the Cultural Revolution)などは、櫻井の著作や収集を参照していないため、記述内容や収集内容が櫻井のそれと比較して立ち遅れ、極めて貧弱なことが理解できる(たとえばこの図録には文革以前の毛バッジは一枚も出ていないが、櫻井は文革期以前だけで約600種を収集したという)。
櫻井はまた1940年代後半頃の、共産党による山西省の解放区で作成された極めて珍しい「鄧小平バッジ」の発見、東北の実力者であった高崗のバッジなどの発見もしており、毛沢東だけでなく、鄧小平まで含めた個人崇拝につながる「肖像バッジ」が中国社会で持っていた役割についても研究を進めている。
また櫻井はバッジの現物のみならず、中国各地からの、関係の文献や昔のバッジの金型までをも収集の対象としており、バッジを活用して、中国を歴史学あるいは社会学的に多面的に研究しようとしており、朝鮮戦争関係のバッジ、毛沢東バッジの影響により作製された北朝鮮の金日成バッジ(現在も成人はバッジの装着が義務づけられている)、スターリンバッジなどの毛沢東バッジの「周辺」の収集、研究も行っている。金日成バッジを中心にした月刊「しにか」(大修館書店)に書いた論文(「バッジで見る朝鮮戦争」)は、(推定)唯一の日本語による、金日成と毛沢東や中国との関係を表すさまざまなバッジに関する論文であり、ユニークかつ独創的な内容となっている。朝鮮戦争中に中国により日本批判(米軍に対する協力や哨戒艇の派遣などが原因であろう。)のバッジが作られていたことの、実例をも示している。毛バッジは現在の北朝鮮の金日成、金正日バッジの元になったものであり、3代にわたる金一族への個人崇拝とバッジの関係を知る上でも、興味深い研究になっている。金日成、金正日バッジの収集のためには、中朝国境付近にも赴いているという。
 
クレジットカード・ペイメントカードの歴史の研究と、カード類の収集においても日本の第一人者。アメリカの、1世紀以上にわたり発行されているクレジットカード・ペイメントカード関連資料の収集は、特に櫻井の独擅場であり、この分野では日本には他に研究者はほとんどいない。