「ヴラジーミル・ヴィソツキー」の版間の差分

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余りにも激しい体制批判ゆえに、生前には1冊の詩集も1枚の[[レコード]]も出すことを禁じられていたにもかかわらず、彼はヒーローとなり、同時に良心であった。彼の歌を収録した[[カセットテープ]]は何度となくコピーされ、人の手から手へと渡され、ソ連中に広まった。モスクワから遠く離れた小さな村の家の窓からさえ、彼の歌は鳴り響いていたといわれている。真実の詩と情熱と勇気とを、ギターをかかえ、しわがれた声で歌うヴィソツキーは、一人で[[全体主義]]的管理と状況に立ち向かい、[[モスクワオリンピック]]の最中に42歳の若さで逝った。葬儀の行われたタガンカ劇場の周りには、前代未聞の10万人から20万人<ref>「新版 ロシアを知る事典」内「ヴィソツキー」項 平凡社 2004年1月21日発行</ref>の人々が集まり、数千人のオリンピック警備陣が流用された<ref>[インサイド・レポート] モスクワ五輪閉幕 少しは聞いた?「ボイコット」[[読売新聞]] 1980年8月5日朝刊3ページ</ref>。
 
[[ロシア]]の[[ジャック・ブレル]]、[[ジョン・レノン]]や[[ボブ・ディラン]]と評する人も多い。没年についても、ジョン・レノンと同じである。
 
ロシアの国営テレビや世論調査機関などが共催した「ロシアの英雄」を選ぶ人気投票で[[ニコライ2世]]、[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]、[[レーニン]]に次いで4位になっている<ref>[[朝日新聞]], 2008年7月16日</ref>。