「セールスマンの死」の版間の差分

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初演時は大好評で、1950年11月18日まで742回のロングランを続け、前作『みんなわが子』で新進の劇作家として注目されていたミラーは、この作で不動の名声を手に入れた。特に主演のリー・J・コッブにとって、ウイリー・ローマン役は当たり役となった。
 
その後、1975年の[[ジョージ・C・スコット]]、1984年の[[ダスティン・ホフマン]]、1999年の[[ブライアン・デネヒー]]などの俳優によって再演された。日本では1954年の滝沢修以降主演の舞台([[劇団民芸]])が繰り返し再演されたほか、[[久米明]]([[劇団昴]])、[[仲代達矢]](無名塾)などが舞台を演じた。
 
仲代は自ら主宰する[[無名塾]]での自主上演を企画したが、ミラーの上演の許可を得ることができず単身渡米してミラーと掛け合った。ミラーは仲代が尊敬する[[黒澤明]]監督の映画に主演したことを知り、許可したという。