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[[画像:SultanmehmedV1917.jpg|thumb|メフメト5世]]
[[画像:Sultan Mehmed V.jpg|thumb|メフメト5世]]
'''メフメト5世'''(Mehmed V Reshad, [[1844年]][[11月2日]] - [[1918年]][[7月3日]])は、[[オスマン帝国]]の第35代[[皇帝]](在位:[[1909年]] - 1918年)。第31代皇帝[[アブデュルメジト1世]]の子。第33代皇帝[[ムラト5世]]と第34代皇帝[[アブデュルハミト2世]]の弟、第36代皇帝[[メフメト6世]]の兄。
 
== 生涯 ==
===即位と混乱===
[[1908年]]の[[青年トルコ党]]の蜂起によって翌[[1909年]]、兄・[[アブデュルハミト2世]]が廃されて[[テッサロニキ|サロニカ]]に幽閉された後、その後釜として擁立された。このような経緯からメフメト5世は主導権がない傀儡皇帝であり、青年トルコ党はメフメト5世のもとで[[立憲君主制]]の確立を目指そうとする。
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[[1918年]][[7月3日]]、メフメト5世はこうした情勢の中73歳で死去し、弟の[[メフメト6世]]が跡を継いだ。
 
[[2010年]][[5月28日]]、メフメト5世の孫であるハサン・オルハン皇子が[[エジプト]]の[[カイロ]]で癌により死去した。オルハン皇子はカイロで教職に就いていた。遺言で父親が埋葬されている[[イスタンブル]]のエユプ・スルタンに埋葬されることを望んでいたが、外交上の問題で叶わず、カイロに埋葬された<ref>[http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20100529_090509.html]</ref>。
 
== 脚注 参考文献==
* [[アラン・パーマー]]著、[[白須英子]]訳『オスマン帝国衰亡史』[[中央公論新社]]、1998年。
<references />
 
== 参考文献 脚注==
<references />
* [[アラン・パーマー]]著、[[白須英子]]訳『オスマン帝国衰亡史』[[中央公論新社]]、1998年。
 
==関連項目==