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'''湯 惟宗'''(ゆ これむね、生没年不詳)は、[[出雲源氏戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[戦国大名武将]][[尼子氏]]の家臣で[[武将|戦国武将]][[従五位下]]信濃守し。[[尼子晴久]]、[[尼子義久]]の代に仕える。[[湯泰敏]]の子。子に[[湯永綱]]。
 
== 生涯 ==
[[出雲国]]の武将・湯泰敏の子として誕生。
[[天文 (元号)|天文]]9年([[1540年]])8月の[[毛利元就]]攻撃、[[月山富田城の戦い]]に出陣。
 
[[尼子晴久]]に仕え、[[天文 (元号)|天文]]9年([[1540年]])8月の第一次月山富田城の戦いに出陣。[[永禄]]元年5月の[[小笠原長雄|小笠原]]応援軍に参加し、[[石見国|石見]]出羽表にて[[吉川氏|吉川]]軍を破る。
 
[[尼子義久|義久]]の代には[[鰐走城]]の[[牛尾久清]]とともに[[福屋隆兼]]の謀反に応じて永禄4年11月、吉川・都治両氏の守る[[福光城]]を攻めるが敗走。永禄6年9月、毛利元就の[[白鹿城]]攻めに[[尼子倫久]]を総大将として救援に向かったが撃退された。
 
永禄8年4月、毛利元就の[[月山富田城]]攻め([[月山富田城の戦い]])の際に[[亀井安綱]]、[[河本隆任]]、[[川副久盛]]、[[牛尾幸清]]、[[佐世清宗]]と同時期に[[毛利氏]]に降った。