「青葉 (重巡洋艦)」の版間の差分

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{{main|珊瑚海海戦}}
 
[[1942年]](昭和17年)4月下旬、[[ポートモレスビー]]攻略を目指してMO攻略部隊が編制され、青葉以下第六戦隊重巡4隻、空母[[祥鳳 (空母)|祥鳳]]、駆逐艦[[漣 (吹雪型駆逐艦)|漣]]、第六水雷戦隊(旗艦[[夕張 (軽巡洋艦)|夕張]])等は、[[第四艦隊 (日本海軍)|第四艦隊]]司令長官[[井上成美]]中将を総指揮官として作戦に参加する([[ポートモレスビー作戦]])<ref>[[#叢書49南東方面]]195頁</ref>。5月7日、第六戦隊の水上偵察機はアメリカ軍機動部隊の位置把握に貢献したが、一方でアメリカ軍機動部隊艦載機の攻撃を受けた。第六戦隊は祥鳳を護衛しきれず、祥鳳は集中攻撃を受けて撃沈された<ref>[[#叢書49南東方面]]248頁</ref>。旗艦青葉に乗艦する五藤司令官はアメリカ軍の第二次空襲を回避するため北東への退避を決定、このため六戦隊は約300名ほどの祥鳳脱出者を救助することが出来なかった<ref>[[#叢書49南東方面]]284頁</ref>。[[装載艇|内火艇]]をおろしかけていた青葉では退避決定を受けて救助作業を中止、漂流する生存者たちに『ユックリヤッテレアトデムカエニクル』の手旗信号が送られたという<ref>[[#暁の珊瑚海(文庫)]]221-222頁</ref>。空襲の危険が去ったのち漣が反転して祥鳳の沈没現場に戻り、203名を救助した<ref>[[#叢書49南東方面]]285頁</ref>。5月8日、第六戦隊第2小隊(衣笠、古鷹)はMO機動部隊に編入され第五戦隊(妙高、羽黒)や[[第五航空戦隊]]の空母[[瑞鶴 (空母)|瑞鶴]]、[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]等と合流すべく分離、六戦隊第1小隊(青葉、加古)は引き続き第六水雷戦隊やMOMO攻略部隊と行動を共にした<ref>[[#叢書49南東方面]]287頁</ref>。
 
5月下旬から6月上旬にかけて、第六戦隊は日本本土へ回航され[[呉]]で整備に従事していた<ref name="叢書中部太平洋海軍(2)43">[[#戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)]]43頁『第六、第十八各戦隊のSN作戦における活躍』</ref>。6月5日、日本海軍は[[ミッドウェー海戦]]で大敗する。連合国軍の重拠点[[ポートモレスビー]]の攻略と[[ソロモン諸島]]における基地航空兵力の拡充は急務とされた<ref>[[#戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)]]38頁『作戦発想の経緯』</ref>。第六戦隊および第十八戦隊(天龍、龍田)は各隊・各小隊ごとに南方へ出撃し、7月上旬までにソロモン諸島へ進出した<ref name="叢書中部太平洋海軍(2)43"/>。[[第四艦隊 (日本海軍)|第四艦隊]](司令長官[[井上成美]]中将)は『SN作戦』(南太平洋方面の航空基地適地調査・設営・各航空基地強化)と『「リ」号研究作戦』を下令<ref>[[#戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)]]38頁『SN作戦及び「リ」号研究作戦の準備』</ref>。ガダルカナル島航空基地の設置、ラエ、カビエン、ツラギ、ラバウル各基地の強化、またソロモン諸島航空基地適地の捜索等の諸任務に、第六戦隊・第十八戦隊・第六水雷戦隊(夕張、第29駆逐隊《[[追風 (2代神風型駆逐艦)|追風]]、[[夕月 (駆逐艦)|夕月]]》)・第30駆逐隊([[睦月 (駆逐艦)|睦月]]、[[望月 (駆逐艦)|望月]]、[[卯月 (睦月型駆逐艦)|卯月]])等を投入する<ref>[[#戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)]]40頁『SN作戦計画の下令』</ref>。夕張、追風、夕月、卯月、睦月は[[ガダルカナル島]]の基地設営輸送船団を護衛、ガダルカナル島へむかった<ref>[[#戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦(2)]]44頁『第六水雷戦隊のSN作戦における活躍と同隊の解散』</ref>。7月14日、連合艦隊第二段作戦第二期の兵力部署改編により、第六戦隊・十八戦隊・夕張・各駆逐隊は外南洋部隊に編入された<ref name="叢書中部太平洋海軍(2)43"/>。
 
=== ガダルカナル島の戦い ===