「大阪市交通局3001形電車」の版間の差分

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== 3001形の評価 ==
大阪市電3001形は、最後はモータリゼーションの荒波にのまれて不遇な面があったにせよ、50両が量産されて大阪市電廃止まで特に問題なく使用され、同様に合計51両が新造された[[名古屋市交通局1900形電車|名古屋市電1900形]]・[[名古屋市交通局2000形電車 (軌道)|名古屋市電2000形]]と並び、和製PCCカーとしては最も成功した車両となった<ref>同時期に製作され、カルダン駆動を採用した路面電車車両で10両以上の量産が実施され、かつ長期使用されたのは他に[[西日本鉄道]]が福岡市内線に投入した[[西鉄1000形電車 (軌道)|1000形・1100形]]2車体連接車20編成があるのみである。</ref>。その後、日本においてはこれらの和製PCCカーに比肩あるいは凌駕する性能を備えた路面電車向け車両は、[[碓氷峠#鉄道|碓氷峠]]並の極端な急勾配区間を擁し過酷な使用条件を課せられていた[[京阪京津線|京阪電気鉄道京津線]][[京阪80電車|80形]]([[1961年]])を例外とすると、[[1980年]]竣工の軽快電車([[広島電鉄3500形電車|広電3500形]]、[[長崎電気軌道2000形電車|長崎2000形]])まで出現せず、日本の路面電車は実に約4半世紀の長きにわたって技術的な停滞の中に留められることとなった。
 
また、他都市で和製PCCカーの導入失敗事例が相次いだ中、大阪市電が3001形の導入に成功したのは、3000形の導入から慎重にステップアップを図って技術の熟成を待ち、3001形の製造時に当時最高の技術を実用的なレベルで導入することに成功した、当時の車輌課長[[宮本政幸]]の手腕によるところが大きかったといえる。この他の理由としては、大阪市では交通局が戦前から[[地下鉄]]を保有していた関係で、(路面電車としては新しい)間接制御の技術に慣れていたことも、和製PCCカーを長く多く運用できた一因として指摘されている<ref>飯島巌・吉谷和典・鹿島雅美・[[諸河久]]『私鉄の車両16 大阪市交通局』[[ネコ・パブリッシング]]、2002年、pp.109-110([[保育社]]1986年刊行の復刻版)</ref>。