「京阪石山坂本線」の版間の差分

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*[[箕面有馬電気軌道1形電車|10型]]
*[[京阪30型電車|30型]]
*[[京阪80電車|80形]](浜大津 - 坂本間・回送・試運転のみ。[[錦織車庫]]に1両保存)
*[[京阪100型電車|200型]]
*[[京阪260電車|260形]]
*[[京阪300型電車 (2代)|300型]](2代)
*[[京阪350電車|350形]]
*[[京阪500形電車 (2代)|500形]](2代)
 
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しかし、期待に反して坂本延長線は乗客がきわめて少なく、投資が回収できなかったことから、1929年に湖南汽船の仲介もあり京阪電気鉄道の傘下に入ることになり、旧・湖南鉄道の鉄道路線を八日市鉄道に、汽船部門を京阪系の湖南汽船から改称した太湖汽船(現在の[[琵琶湖汽船]]で前出の太湖汽船とは別)に譲渡して京阪電気鉄道に合併、同社の石山坂本線となった(坂本駅からの堅田方向への未成区間0.4kmは1930年6月25日付けで事業廃止された<ref name="moriguchi-p181">森口誠之著『鉄道未成線を歩く私鉄編』JTB、2001年、p.181</ref>)。
 
合併後は石山方面と直通し、持て余していた100形は[[京阪本線]]に転属し[[琵琶湖鉄道汽船100形電車|800型(初代)]]となった。800型は京阪最後の木造車として京阪本線や晩年は[[京阪交野線|交野線]]で使われ続け、廃車されるまで大津の地に戻ることはなかった。廃車後機器類が石山坂本線用に新造された[[京阪350電車|350形]]流用され、復帰を果たした。
 
1997年、京津線の京都市営地下鉄東西線乗り入れ開始に伴い、石山坂本線も架線電圧を1500Vに昇圧した。