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'''グラサ·マシェル'''(Graça Machel、[[1945年]][[10月17日]] - )は、モザンビーク出身の政治家。
 
1945年10月17日、モザンビーク(当時はポルトガル領)[[ガザ州]]の農村で生まれ、[[リスボン大学]]に進学、卒業する。その後、教師となる。1975年にモザンビークが独立すると、彼女は教育文化大臣に任命される。同じ年の1975年に[[モザンビーク]]初代大統領[[サモラ・マシェル]](1933 - 1986)と結婚するが、彼は航空機事故([[:en:1986 Mozambican Tupolev Tu-134 crash]])で亡くなり未亡人となる。その後、1998年に当時の[[南アフリカ]]大統領[[ネルソン・マンデラ]](1918 - 2013)と結婚し(結婚した日はマンデラの80回目の誕生日だった)、異なる2カ国で大統領夫人となった初の人物となった<ref>{{Cite book |last= |first= |author= クレイグ・グレンディ|authorlink= |coauthors= |year= 2009年|title= [[ギネス世界記録]]2010|publisher= [[ゴマブックス]]|page= 144|id= |isbn= 978-4-7771-1529-7|quote= }}</ref>。マンデラは以前にも{{仮リンク|[[エブリン・メイス|en|Evelyn Mase}}]]と[[ウィニー・マンデラ]]と結婚・離婚しており、彼にとって3度目にして最後の結婚となった。2013年にマンデラが肺炎を伴う感染症で死去すると、彼女は彼の遺産の半分を存続したという<ref>[http://www.sankeibiz.jp/express/news/140205/exd1402050931001-n1.htm マンデラ氏 遺産4億円を分配 同志の元夫人「ゼロ」、遺言の真意は…] 2015年6月20日回覧。</ref>。
 
1995年に彼女の長年に渡る人道的活動の功績により国連から[[ナンセン難民賞]]を受賞した。また、1997年には[[大英帝国勲章]]([[DBE]])を叙勲されている。[[ケープタウン大学]]の大学総長でもある。