「宮出隆自」の版間の差分

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{{by|1999年}}には中継ぎを中心に谷間の先発も任され、2勝を挙げた。{{by|2000年}}には3勝を挙げる。
 
{{by|2001年}}はセットアッパーとして期待され、開幕戦にも登板。しかし4月半ばに膝の半月板を損傷し、手術に踏み切った。元々投手としては故障がちであった事や、手術後投球を行うと膝に水が溜まるようになったため、{{by|2002年}}から外野手に転向する。この際、[[三塁手|三塁]]や一塁など、内野の練習にも取り組んでいるが、余りの酷さに内野失格を言い渡されてしまった。
 
投手でありながら、一軍で打席が回ってきた際は安打を放っている。投手時代は計17打数7安打(打率.412)と高打率を残した。また、ファームでは本塁打も2本記録している。