「京阪100型電車」の版間の差分

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[[1942年]](昭和17年)に京阪線に残っていたうちの10両が輸送力増強のため連結可能な制御器に交換され、200型に改番されている。さらに10両について車体を[[京阪50型電車|50型]]と同じ物に乗せ替えて大津線に投入することとなった。これが[[京阪70型電車|70型]]である。計画は戦争中に立てられたが、資材不足などのため終戦前には2両のみが完成し、後は車体のみが製造されたものの完成は戦後となった。
 
上記の転属や改造の対象とならなかった6両は[[1947年]]から[[1949年]]にかけて廃車となり、[[京阪1300系電車|1300系]]製造の条件となっていた、[[鉄道事業者|中小私鉄]]への供出車として2両が[[広島電鉄宮島線]]に送られて[[広島電鉄1050形電車|1050形]]になり、4両が[[土佐電気鉄道安芸線]](車体のみ)に送られている(土佐電気鉄道へは他に70型への改造で余剰になった車体4両分も譲渡)<ref>高橋修『関西大手私鉄の譲渡車たち〈上〉』(ネコ・パブリッシング、2001年)は、土佐電気鉄道への譲渡は1300系製造による供出ではなかったとしている。</ref>。これにより、京阪線からは本形式は消滅した。
 
大津線に転属した5両は[[1962年]](昭和37年) - [[1963年]](昭和38年)に廃車された。