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== 来歴・人物 ==
=== プロ入り前 ===
[[東広島市立志和堀小学校]]3年の時、[[礒部公一]](現在は[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]コーチ)の父が監督を務めるチームでソフトボールを始める。礒部と同じ小学校、中学校に通っていた。[[東広島市立志和中学校|志和中学校]]では[[投手]]兼外野手で3番を打った。[[広島国際学院高等学校]]時代は3番[[一塁手]]・[[外野手]]で控え投手も務め、[[サウスポー|左投げ]]ながら3年の春季大会準決勝で[[遊撃手|ショート]]を守ったこともある。2年夏の県大会ベスト8、2年秋季県大会ベスト4、3年春季県大会ベスト4、3年夏は県大会ベスト8。
 
[[広島国際学院大学]]時代にへの進学後、大学通算で13本塁打を放つなど、[[広島六大学野球連盟|広島六大学リーグ]]屈指の好打者として注目され、大学通算13本塁打た。リーグ戦では、ベストナイン4回選ばれるとともに、3年生のにMVPを獲得。その一方で、チームに投手が不足していた事情ことから投手も兼任していた。広島国際学院大学出身のプロ野球選手は、[[山口和男 (野球)|山口和男]](前身の広島電機大学から[[三菱自動車岡崎硬式野球部|三菱自動車岡崎]]を経て[[オリックス・バファローズ|オリックス]])に次いで史上2人目
 
[[2006年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2006年の育成ドラフト]]で読売ジャイアンツ(巨人)から4巡目指名を受けたことを機に、育成選手として入団した。[[12月14日]]に東京都内のホテルで行われた入団会見では、「名前が珍しいので、早くアピールできればと思っています。憧れは[[高橋由伸]]選手」とコメント。広島国際学院大学出身のプロ野球選手は、[[山口和男 (野球)|山口和男]](前身の広島電機大学から[[三菱自動車岡崎硬式野球部|三菱自動車岡崎]]を経て[[オリックス・バファローズ|オリックスブルーウェーブ]]へ入団)に次いで2人目であった。
=== プロ入り後 ===
{{by|2006年}}、育成ドラフト4巡目で指名され巨人に入団。[[12月14日]]に東京都内のホテルで行われた入団会見では、「名前が珍しいので、早くアピールできればと思っています。憧れは[[高橋由伸]]選手」とコメントした。
 
=== プロ入り後 ===
{{by|2007年}}には、シーズン後半[[イースタン・リーグ]]において公式戦で活躍。巧打好守で活躍しを披露するとともに、打率.284を記録した。二軍の同リーグ優勝で迎え[[ファーム日本選手権]]では、出場機会こそなかったものの、[[ファーム日本育成選手権]]においてから[[鈴木誠 (1985年生の投手)|鈴木誠]]と共に育成選手ながらベンチ入り登録を果たした。
 
{{by|2008年}}には、オープン戦や教育リーグでの活躍を経て、[[3月21日]]に[[支配下選手登録]]へ移行。背番号も99に変更した。[[3月30日]]の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦([[神宮球場]])9回表に代打で一軍デビューを果たすと、左中間を破る[[二塁打]]で一軍初安打も記録した。さらに、[[5月11日]]の対[[中日ドラゴンズ]]戦([[東京ドーム]])で一軍初の[[スターティングメンバー|スタメン]]に起用されると、3安打3打点でチームの大勝に貢献した<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/05/12/kiji/K20080512Z00001570.html|title=ハツラツ隠善 初スタメンで3安打3打点|newspaper=スポニチSponichi Annex|publisher=スポーツニッポン|date=2008-05-12|accessdate=2013-05-12}}</ref>。
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{{by|2013年}}には、高橋由伸の左足負傷を受けて、公式戦開幕直後の[[4月5日]]にシーズン初の出場選手登録<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130405-1107760.html|title=由伸左足痛め交代 原監督「軽くはない」|newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ|date=2013-04-05|accessdate=2015-11-06}}</ref>。しかし、一軍公式戦1試合(代打で1打席)に出場しただけで、[[4月8日|同月8日]]の登録抹消後は二軍生活に終始した<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130408-1109585.html|title=【巨人】隠善の一軍登録を抹消|newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ|date=2013-04-08|accessdate=2015-11-06}}</ref>。
 
{{by|2014年}}には、[[フレデリク・セペダ]]が右肘の違和感を訴えたことを受けて、セベダに代わって[[8月22日]]に急遽シーズン初の出場選手登録。当日の対中日戦(東京ドーム)にスタメンで2安打を放ったこと<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20140823-1355640.html|title=巨人隠善、昇格即スタメンに2安打回答|newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ|date=2014-08-23|accessdate=2015-11-06}}</ref>を皮切りに、一軍公式戦11試合の出場で自己最高の打率.321を記録した。
 
{{by|2015年}}には、一軍公式戦3試合に出場。[[8月30日]]の対中日戦(東京ドーム)3回裏2死満塁からの代打でシーズン初打席を迎えると、[[若松駿太]]からの内野安打で2打点を記録した<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1530740.html|title=巨人隠善「結果がほしかった」今季初打席で適時打|newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ|date=2015-08-31|accessdate=2015-11-06}}</ref>。しかし、[[9月2日]]の対ヤクルト戦([[石川県立野球場]])での出塁中に左肩を負傷。後に亜脱臼が判明したため、戦線離脱を余儀なくされた<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1536054.html|title=左肩亜脱臼の巨人隠善が練習「もう少し時間かかる」|newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ|date=2015-09-10|accessdate=2015-11-06}}</ref>。一軍公式戦では通算2打席で2打数2安打(打率1.000)2打点という成績を残したが、[[10月18日]]に球団から[[戦力外通告]]を受けたこと<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1554435.html|title=巨人隠善が戦力外 今季は1軍3試合出場|newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ|date=2015-10-18|accessdate=2015-11-06}}</ref>を機に、現役引退を表明<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1556425.html|title=巨人隠善が引退表明「すごい経験をした9年」|newspaper=nikkansports.com|publisher=日刊スポーツ|date=2015-10-23|accessdate=2015-11-06}}</ref>。[[11月5日]]付で、[[NPB]]から[[任意引退選手]]として公示された<ref>{{cite news|url=http://www.npb.or.jp/players/2015pn_retired.html|title=2015年度 任意引退選手|newspaper=|publisher=日本野球機構(NPB)|date=2015-11-05|accessdate=2015-11-06}}</ref>。