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== 栽培史 ==
ラッカセイの原産地が[[南アメリカ大陸]]であることは確実である。最も古い出土品は、[[紀元前
その後、[[メキシコ]]には[[紀元前6世紀]]までに伝わっていたが、[[16世紀]]の[[スペイン]]人修道士の記録では[[アステカ]]族はラッカセイを食糧ではなく薬と考えていた{{sfn|ジョンソン |1999|p=125-131}}。また、[[カリブ海]]の島々でもラッカセイの栽培は行われており、そこでは重要な食糧とされていたという。
ラッカセイはヨーロッパにも紹介されたが、土の中で成長するラッカセイはそれまでのマメ類の常識とはかけ離れた、奇妙な存在と感じられた{{sfn|ジョンソン |1999|p=125-131}}。気候もあまり適さないことから、ヨーロッパでの栽培はあまり行われなかった。
南アメリカ以外の世界にラッカセイの栽培が広がったのは16世紀中ごろである。[[ポルトガル]]人の船乗りたちが西アフリカ-ブラジル間の[[奴隷貿易]]を維持するためにアフリカに持ち込んだのが始まりで、そのまま[[西アフリカ]]、南アフリカ、[[ポルトガル領インド]]に栽培地が広がっていく{{sfn|ジョンソン |1999|p=125-131}}。ほぼ同時期にスペインへ伝わったラッカセイは[[南ヨーロッパ]]、[[北アフリカ]]へと渡っていく。さらに[[インドネシア]]、[[フィリピン]]への持ち込みもほぼ同時期である。日本には東アジア経由で[[1706年]]にラッカセイが伝来し、「[[南京]]豆」と呼ばれた(現在の日本での栽培種はこの南京豆ではなく、[[明治維新]]以降に導入された[[品種]]である)。
[[18世紀]]以前の[[北アメリカ]]では、ラッカセイは[[家畜]]の餌か[[奴隷]]用の食糧として栽培されていたが、[[南北戦争]]による食糧事情の悪化により白人もラッカセイを食べるようになり、「ピーナツ」と呼ばれ愛されるようになった{{sfn|ジョンソン |1999|p=133-136}}。
== 利用方法 ==
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=== 出典 ===
{{Reflist}}
=== 参考文献 ===
* {{Cite |和書 |author = シルヴィア・ジョンソン |translator = 金原瑞人 |title = 世界を変えた野菜読本 |date = 1999 |publisher = 晶文社 |isbn = 4794964129 |ref = harv }}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Arachis hypogaea}}
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