「蜂須賀正氏」の版間の差分

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[[1933年]][[2月3日]]、父の死去に伴って一時帰国。[[1933年]][[2月15日]]に襲爵し、貴族院議員となる(~[[1943年]][[12月9日]])。この年、交際していた女性が自殺未遂を起こした事件で非難を浴びる。
 
自ら資格を取得して[[飛行機]]を操縦し、[[1934年]]には空路で単身[[ポーランド]]に渡るなど、豪快な行動力で人気を集めたが、派手な女性関係で顰蹙を買う。同年、財産を秘密裏に[[アメリカ合衆国|米国]]に移そうとして物議をかもしたこともあった。同年10月には、「紫式部日記絵巻」など蜂須賀家が所有する美術品の大きな売立(オークション)があり、蜂須賀家が北海道で経営する雨竜農場において長年続いた小作争議等による借財や、正氏自身の様々な「道楽」による借財等が重なっての売却であろうとみられている<ref>[http://www5f.biglobe.ne.jp/~bunkazai/100sen/hachisuka-ke.html 蜂須賀侯爵家(旧徳島藩主) 侯爵蜂須賀家御蔵品入札 昭和8年10月23日 東京美術倶楽部]静岡大学高松良幸研究室</ref>
 
[[1935年]]に再び外遊の旅へ出発し、そのまま病気と称して米国に住みつくも、スピード違反で拘留を受ける。その後、帰国して[[静岡県]][[熱海市]]の別荘に居を構えたが、[[1943年]][[11月30日]]、品行不良ゆえに[[宮内省]]から華族礼遇停止処分を受けた。