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[[Image:Marie-Louise O'Murphy (1737-1818) painted by Francois Boucher (1703–1770).jpg|right|200px|thumb|フランソワ・ブーシェの描いたO・モルフィー]]
'''O・モルフィー'''('''Marie-Louise O'Murphy''' [[1737年]][[10月21日]]? - [[1814年]][[12月11日]])。[[フランス]]のルーアンで生まれた[[アイルランド]]人兵士の娘といわれている。
 
父の死後、母親は家族を連れて[[パリ]]に出たが、O・モルフィーは[[ヌード画]]のマネキンとして働いていた。1752年[[F.フランソワ・ブーシェ]]が描いた裸体画が評判になると、O・モルフィーは[[フランス]]王[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]の[[公妾]][[ポンパドゥール夫人]]が開設したという娼館[[鹿の園]]に招かれ、ルイ15世に性的奉仕を行ったという。
 
ルイ15世との間に夭逝の女子と一人の男子を設けたが、男子は将校に取り立てられ後に[[ベリュイゥイ将軍]]を名乗ったという。鹿の園での性的奉仕は原則として短期間とされたため、彼女自身は鹿の園を出て良縁を紹介され年金支給を受けて余生を送ったが、[[フランス革命]]期間中は投獄されたこともあったと伝えられている。
 
[[en:Marie-Louise O'Murphy]]
 
[[Category:フランス史の人物|もるふいい O]]
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