「シド・ヴィシャス」の版間の差分

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この収録に際してもパリでのMY WAYの撮影時に既にシドは普通に行動するのも困難な状態なまでヘロインによって蝕まれており、体は痩せ細り衰弱しており、歌詞を覚えさせて1曲を収録するのに1週間近くかかった。
 
その後は、セックス・ピストルズの初代ベーシストであるグレン・マトロックや、憧れであった[[ジョニー・サンダース]]らと一時的に組み、ライブを行っている。ただしジョニー・サンダースとのステージでは、同じジャンキーであるジョニー・サンダースからしても、シドのドラッグの悪影響はステージ上にも及んでおり、そのせいでライブパフォーマンスを保てないシドを途中で降板させている。
ただしジョニー・サンダースとのステージでは、同じジャンキーであるジョニー・サンダースからしても、シドのドラッグの悪影響はステージ上にも及んでおり、そのせいでライブパフォーマンスを保てないシドを途中で降板させている。
この事は激しくシドを失意に落とした出来事であると言われている。
1978年に、ジョニー・ロットンと和解し、2人で新たなバンド結成の話を持ちかける。 ジョニー・ロットンも話に乗っていたのだが、[[ナンシー・スパンゲン]]が間に入り、そのバンドのフロントマンはシドじゃないとと譲らず、ジョニーが「じゃあ、おれは何をやるのさ?」と問いかけるとナンシーは「あなたはドラムでもやったらいいわ」と言い、結果的に夢の実現は、ナンシー&ドラッグを断てないシドの為に崩壊し終わっている。