「テキサスのインディアン戦争」の版間の差分

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=== ヒューストン政権の2期目: 1841年-1844年 ===
サミュエル・ヒューストンが大統領の1期目を終えるとき、大衆はラマーの強硬な反インディアン政策を支持しているように見えた。しかし大襲撃と数百の小さな襲撃、共和国の破産という事態を経過し、ラマーの政策は拒否され、ヒューストンが楽々と返り咲いた<ref name="kreneck"> Kreneck, Thomas (2000). <cite> [http://www.tshaonline.org/handbook/online/articles/HH/fho73.html]</cite>. "Texas Handbook Online [[September 7]] [[2007]].</ref>。
 
ヒューストンのインディアン政策は正規軍の大多数を解隊したが、辺境を警戒する新しいレンジャーズ4個中隊を招集することだった。ヒューストンはレンジャーズに、インディアンの土地を開拓者と不法な交易業者による侵入から守ることを命じた。ラマーの統制を超越してしまった襲撃と報復という繰り返しが無くなることを望んだ。ヒューストンの政策下では、テキサス・レンジャーズがインディアンによる犯罪を厳しく罰することは認められたが、以前のような紛争を始めることは無かった。双方で起こった略奪行為には、レンジャーズが実際の犯人を見つけて罰するよう命令されたが、単純にそれがインディアンだからという理由で無知なインディアンに報復はしないよう言われた<ref name="kreneck"/>。