「ライオネル・バリモア」の版間の差分

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芸能一家のため、少年時代から舞台に立っている。どちらかというと悪役、軍隊の将官、父親などの年上の役が似合っていた。1911年にはバイオグラフ・カンパニーに誘われ、[[D・W・グリフィス]]監督の下で数本の映画の脚本を書いて、端役を演じたが、バリモアにとってはあまり満足できる結果にならなかった。しかし、1917年には一躍舞台での花形スターになる。
 
その直後、映画界へ誘われて[[MGM]]と異例の25年契約を結び、その中には映画監督を許可するという条項もあった。映画監督としては、『[[マダムX (1929年の映画)|マダムX]]』(1929年)で[[アカデミー監督賞]]にノミネートされたがあまり結果を出せず、1931年には演技に専念するよう契約を変えた。1930年代初期にMGM作品で見せた、センチメンタルで気難しい祖父役やけちな大金持ちなどの役でファンに愛された。
 
『[[自由の魂]]』(1931年)では大酒飲みで、常識にとらわれない心を持った刑事弁護士を演じて[[アカデミー主演男優賞|アカデミー男優賞]]<!--主演と助演に分かれるのは1936年度から-->を得た。この作品に出演するまでのバリモアは、役者より監督に魅力を感じていたらしいが、この受賞でMGMと契約を書き換えたと言われる。映画出演は1953年まで続いたが、1938年以来、[[関節炎]]と2度の転倒で[[車椅子]]の生活を余儀なくされた。晩年はTVでの活動は拒否し、ラジオの出演のみで余生を送った。