「法治国家」の版間の差分
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[[日本]]では、[[美濃部達吉]]及び[[佐々木惣一]]がほぼ同時期に日本にドイツの学説を輸入したのが、次世代の[[田中二郎]]によって通説として定着した。
== 解説 ==
[[法の支配]]の述べる[[法]]とは、議会や法廷あるいは(哲)学者の理性により、現実の社会や慣習の中から「発見される」ものであり、高権力に位置すべき国王(ないし行政府)がその法(法理)を尊重し法の支配に服することをもって社会全体を法理により統治することをさすのに対して、法治国家とは法による支配の、より実定法的側面が強調される。
===== 形式的法治主義 =====
第二次大戦までの近代ドイツにおいて、法治国家の概念は、もっぱら国家が機能する形式または手続きを示すものであった。この意味での法治主義は、いかなる政治体制とも結合しうる形式的な概念である。
また、ここで言われている「法」も、近代[[大陸法|大陸法学]]における[[実定法]]としての法であって、その内容とは関係のない「成文化され制定された法律」という形式を指している。
===== 実質的法治主義 =====
形式的な法によって形式的に国家活動を縛るというだけでなく、法の内容や適用においても正義や合理性を要求する場合、これを実質的法治主義と呼ぶことができる。この意味での法治主義は'''[[法の支配]]'''とほぼ同じ意味を持つ。
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一方、実質的法治主義の観点においては、法の形式だけではなく内容上の正当性が追求されねばならず、法律体系が憲法や人権、慣習や社会道徳などに適っているかどうかが問題となる。実質的に法治国家であるかどうかは、制度の側面および現実の政治や法実践の側面において確かめうる。制度的には、前述の違憲審査制などが基準となる。現実において実質的な法治主義が守られているかどうかは、政治や法のさまざまな実践を丁寧に観察・分析することによってしか確かめられない。
== その他 ==▼
▲==その他==
[[山本七平]]は「『派閥』の研究」([[文藝春秋]])において、「日本は法治国家ではなく'''納得治国家'''で、罰しなければ国民が納得しないほど目に余るものは罰する法律を探してでも([[別件逮捕]]同然のことをしてでも)罰するが、罰しなくとも国民が納得するものは違法であっても大目に見て何もしない」と述べている。
== 参考文献 ==
* [[芦部信喜]]著・[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]補訂『憲法(第四版)』(岩波書店、2007年)
== 関連事項 ==
* [[法の支配]]
* [[夜警国家]]
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