「カリクストゥス写本」の版間の差分

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'''カリクストゥス写本'''('''Codex Calixtinus''')は、ローマ教皇[[カリストゥス2世 (ローマ教皇)|カリクストゥス(カリストゥス)2世]]によるものとされていた12世紀の[[写本]]。現在では、[[フランス]]人修道士で司祭でもあったエメリック(アイメリ)・ピコー(Aymeric Picaud)によるとされる<ref name="asano2003_199">{{Harvnb|浅野|2003|p=199}}</ref>。『'''[[ヤコブ (ゼベダイの子)|聖ヤコブ]]の書'''』([[:es:Liber Sancti Iacobi|Liber Sancti Iacobi]])の最も完全な形に近い写本のひとつ<ref name="asano2003_14">{{Harvnb|浅野|2003|p=14}}</ref>。この本は中世ヨーロッパにおけるキリスト教の最大の巡礼地であった[[スペイン]]・[[ガリシア州|ガリシア]]の聖地[[サンティアゴ・デ・コンポステーラ]]の聖ヤコブの墓への巡礼の案内書でもあった(後述[[#構成]]の第5書『[[#サンティアゴ巡礼案内記|巡礼案内記]]』)。原本は[[ラテン語]]であり、完訳された現代語訳版は[[スペイン語]]版のみ存在する<ref name="asano2003_201">{{Harvnb|浅野|2003|p=201}}</ref>。抄訳は[[英語]]、[[フランス語]]、[[ドイツ語]]、[[ガリシア語]]などが存在するが品質はあまりよくないものもあるという<ref name="asano2003_202">{{Harvnb|浅野|2003|p=202}}</ref>。
 
聖ヤコブの奇跡の報告<!--を中心に-->、巡礼地の地理案内、芸術、更には現地の風俗までが解説されている。『聖ヤコブの書』は、おそらく1140年過ぎに編纂が開始され、この写本は1173年より少し前にまとめられたと考えられている<ref name="asano2003_15">{{Harvnb|浅野|2003|p=15}}</ref>。本の権威付けのために、1124年に死去した教皇カリクストゥス2世の偽造サインがついている。
 
== 構成 ==