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=== 捕虜の帰還 ===
690年([[持統]]4年)、[[持統天皇]]は、[[筑後国]]上陽咩郡(上妻郡)の住人'''[[大伴部博麻]]'''に対して「百済救援の役であなたは唐の抑留捕虜とされた。その後、土師連富杼(はじのむらじほど)、氷連老(ひのむらじおゆ)、[[筑紫君[[薩夜麻]]、弓削連元宝児(ゆげのむらじげんぽうじ)<ref>森1998,p118</ref>の四人が、唐で日本襲撃計画を聞き、朝廷に奏上したいが帰れないことを憂えた。その時あなたは、富杼らに『私を奴隷に売りその金で帰朝し奏上してほしい』と言った。そのため、筑紫君薩夜麻や富杼らは日本へ帰り奏上できたが、あなたはひとり30年近くも唐に留まった後にやっと帰ることが出来た。わたしは、あなたが朝廷を尊び国へ忠誠を示したことを喜ぶ。」と詔して表彰し、[[大伴部博麻]]の一族に土地などの褒美を与えた<ref>[[日本書紀]]の持統4年(690年)の項</ref>。幕末の[[尊王攘夷]]思想が勃興する中、文久年間、この大伴部博麻を顕彰する碑が地元(福岡県八女市)に建てられ、現存している。
 
707年、讃岐国の[[錦部刀良]](にしごりとら)、陸奥国の[[生王五百足]](みぶのいおたり)、筑後国の[[許勢部信太形見]](こせべのかたみ)らも帰還した<ref>森1998,p119。『[[続日本紀]]』慶雲4年5月</ref>。