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1806年まで[[神聖ローマ皇帝]]の選挙が行われる諸侯会議が開催された地であり、1562年以降は皇帝の[[戴冠式]]もこの都市で挙行された。1816年から[[ドイツ連邦]]の議会がフランクフルト自由都市で開催され、1848年から49年にかけては[[フランクフルト国民議会]]が開催された。1866年の[[普墺戦争]]により都市国家としての独立を喪失し、[[プロイセン王国|プロイセン]]に併合された。フランクフルトの人口は、1875年に10万人、1928年には50万人を超えた。
 
[[ヨーゼフ・ズュース・オッペンハイマー]]の頃からフランクフルトは国際金融の中心地であり、工業や産業の中心で近代からは[[ジェームズ・ゴールドスミス|ゴールドスミス家]]活躍する。経済的側面から[[世界都市]]の一つに数えられており<ref>[http://www.lboro.ac.uk/gawc/world2010t.html "The World According to GaWC 2010"](2013年2月28日 閲覧)</ref>、[[欧州中央銀行]]、[[ドイツ連邦銀行]]、[[フランクフルト証券取引所]]、[[ドイツ銀行]]、[[コメルツ銀行]]、[[ドイツ復興金融公庫]]、{{仮リンク|DZ銀行|en|DZ Bank}}、{{仮リンク|ヘッセン=テューリンゲン州立銀行|en|Helaba}}(ヘラバ)、その他数多くの金融機関の本拠がある。{{仮リンク|メッセ・フランクフルト|en|Messe Frankfurt}}は、世界最大の[[見本市]]会場の一つである。
 
またフランクフルトは工業・産業・交通の要衝でもある。[[フランクフルト空港]]は世界最大級の[[ハブ空港]]であり、[[鉄道]]についてもヨーロッパ最大級の[[ターミナル駅]]である[[フランクフルト中央駅]]がある。また、道路においてもフランクフルト・ジャンクションはドイツで最も自動車交通量が多いジャンクションの1つである<ref>[http://ebn24.de/index.php?id=34285 "Wirtschaftsstandort Frankfurt am Main Band 3"](2013年2月28日 閲覧)</ref>。フランクフルトの {{仮リンク|DE-CIX|de|DE-CIX}} は、データ転送量において世界最大の[[インターネット]]中継点である。
 
== 地名 ==