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この職は日本にも[[律令制]]やそれに伴う文物とともに輸入され、日本の律令制度下に於ける[[太政官]]の最高職である[[太政大臣]]の[[唐名]]となった。[[平清盛]]が「入道相国」と呼ばれたり、[[足利義満]]が[[京都御所]]の近くに立てた寺の名前が「[[相国寺]]」であるのも、歴代の[[徳川将軍]]の位牌に「正一位大相国○○院殿」と記されているのも、彼らが生前に太政大臣に就任、若しくは死後に[[朝廷]]からこの官位を贈られたからである。
 
[[category:中国の制度史|しようこく]]
[[category:中国の官名|しようこく]]