「中村城 (土佐国)」の版間の差分

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[[関ヶ原の戦い]]後、戦功により[[山内一豊]]に土佐一国が与えられ、山内一豊の弟[[山内康豊|康豊]]が入るが[[元和 (日本)|元和]]の[[一国一城令]]に伴い廃城となった。
 
城は西に[[四万十川]]、東に後川が流れ、中村平野を一望出来できる丘陵に築城され、面積はおよそ10,586平方メートル586m<sup>2</sup>あり、遺構は石垣が残っている。石垣は昭和40年([[1965年]](昭和40年)年に発見されたもので、中村藩2万石2代藩主山内政豊時代の[[慶長]]18年([[1613年]])年に修復されたものであると考えられている。現在は「為松公園」になっており、二の丸跡に模擬天守の四万十市立郷土資料館がある。
[[ファイル:Shimanto History Museum 1.JPG|thumb|200px|left|四万十市立郷土資料館]]
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[[Category:高知県の城]]
[[Category:四万十市の歴史]]
[[Category:土佐国|城なかむら]]