「胡耀邦」の版間の差分

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二林史夫 (会話 | 投稿記録)
「生誕100周年と再評価への動き」の章に加筆
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[[1983年]]11月に訪日、[[中曽根康弘]]首相と首脳会談。友好関係を築く。この時の日中首脳会談で『[[日中友好二十一世紀委員会]]』の設立に合意し、また日中友好四原則を確立させ、以降、日中間の相互理解を深めるための青年交流事業を行った。
 
なおまた、中曽根が[[1985年]]に[[靖国神社]]を[[公式参拝]]した後、その翌年から靖国参拝を取り止めた理由を、「(私の靖国参拝によって)親日派である胡耀邦が中国共産党内の批判にさらされて失脚する可能性があったからだ。それはどうしても困ることだったから」と述べている。もっとも趙紫陽は後述する政治改革の行き過ぎが鄧小平との不和を招いたとしており、そうした権力闘争の中で胡の親日姿勢が利用されたという側面が強い。
 
==失脚==