「ジャーニー (バンド)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
135行目:
*:ジャーニーの2006年の[[デフ・レパード]]との合同ツアー途中に、喉の感染症を治療するため一時バンドを離れたスティーヴ・オージェリーの代理として参加。同年12月より正式にバンド加入。[[イングヴェイ・マルムスティーン|イングウェイ・マルムスティーンズ・ライジング・フォース]]や[[タリスマン (バンド)|タリスマン]]で活躍。ニール・ショーンともソウル・サーカスで共演歴があり、長年のジャーニー・ファンであると公言しているほか、ソロアルバムでジャーニーのヒット曲「Send Her My Love」をカヴァーしたこともある。<!--
*: [http://www.jeffscotsoto.com ジェフ・スコット・ソート公式ウェブサイト]{{en_icon}} -->しかし、他のメンバーとの確執が生じたためレコーディングに参加することなく解雇されている。
 
* '''ディーン・カストロノヴォ''' (''Deen Castronovo'') :[[ドラムセット|Ds(ドラムス)]]、バッキング・ボーカル 2000-15
*: [[1965年]][[8月17日]]生まれ。正規メンバーとしては4代目のドラマー。元々[[スラッシュメタル]]バンドからプロのキャリアをスタートさせていることもあり攻撃的な演奏が特徴。5歳の頃からドラムの探求を始め、13歳でジャーニーの『[[インフィニティ (ジャーニーのアルバム)|インフィニティ]]』の曲をすべてコピーした。ディーンは最も影響を受けたアーティストとしてスティーブ・スミス、ニール・パート、およびテリー・ボジオの名を挙げる。「ハイ・パフォーマンス・ドラム」というドラムの教則ビデオもリリースしている。ニール・ショーンとジョナサン・ケインらが[[1987年]]に結成した"バッド・イングリッシュ"と、その後ショーンが結成した"ハードライン"の両バンドに参加しており、バンドの主要メンバーとは加入前から既知の間柄であった。また、彼のボーカリストとしての才能はドラムの技能と同様に印象的で(声質もスティーヴ・ペリーと非常に似ている)、過去のヒット曲の一部を自らリード・ボーカルとしてドラムを叩きながらライヴで披露している他、アルバム『ジェネレーションズ』でも2つの新曲で歌っている(3曲目の「ベター・ライフ」、そしてラスト・トラックの「ネヴァー・トゥー・レイト」)。ジャーニー以外のバンドでは、[[オジー・オズボーン]]や[[ポール・ロジャース]]とも組んだことがある(ポール・ロジャースとの演奏においてはニール・ショーンも参加し、来日公演を行ったこともある)。ちなみに、バッド・イングリッシュやオジー・オズボーン在籍当時は名前のカナ表記が「ディーン・カストロノヴ'''ァ'''」となっていた。しかし、2015年6月ドメスティックバイオレンスの容疑で逮捕されその後解雇となる。
 
=== サポート・メンバー ===